【馬淵史郎 我が道21】W杯で7回制、DH制を初体験

[ 2026年3月22日 07:00 ]

22年U―18W杯に向けて山田主将(中央)らと会見
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 高校日本代表チーム、U―18の監督就任要請を受けたのは、20年(令2)だった。夏の甲子園で優勝した02年(平14)に全日本選抜チームの監督は経験させていただいたが、いわゆる「侍ジャパン」のチームを率いることになるとは思っていなかった。

 05年(平17)に野球部員の不祥事のため、監督を辞任し、1年間の謹慎処分を受けていた。そういう資格は自分にはないと思っていた。それでも「W杯で勝てるチームをつくりたい」と強く要請された。本腰を入れて取り組むなら、明徳義塾の野球部にも迷惑をかけることになる。要請があったことを学校に伝えたら「名誉なことじゃないか」とバックアップされた。「今を頑張る」を信条として、ここまで野球に取り組んできたことが評価されるなら、とお受けした。

 W杯がコロナで延期となり、U―18監督としてのスタートは22年(令4)になった。開催地は米国フロリダ。明徳義塾でもU―18でも自分の野球は変わらない。守備を重視し、バントができて、機動力もある選手を中心にメンバーを編成した。主将は近江の山田陽翔(現西武)。大阪桐蔭の松尾汐恩(現DeNA)、高松商の浅野翔吾(現巨人)が中心メンバーになった。

 7回制、DH制は初めての経験。しかもW杯はそれぞれ参加国の威信がかかっている。手探りの中で迎えたオープニングラウンドは2位で通過。しかし、決勝進出をかけて臨んだスーパーラウンドでは初戦で韓国に0―8で完敗。雨で継続試合となった米国戦も3―4でサヨナラ負けを喫した。両国の本気度を目の当たりにした。「日本代表として最低でも3位で帰らんといかん」と背水の陣で臨んだ韓国との3位決定戦。初回に先制した日本は2回に押し出し四球、松尾の2点左前打などで5点を追加。興南の生盛亜勇太から大阪桐蔭の川原嗣貴のリレーで6―2で勝利し、2大会ぶりの3位、銅メダルを獲得した。

 最低ラインは果たしたが、ルールの違い、10日間で9試合という日程、そして強化に取り組む対戦相手にどう立ち向かうかという課題を感じた。大会後は「7イニング制は3回までが勝負。先手必勝のオーダーなど、もっとその中での戦いを考えていかなくてはいけない。オープニングラウンドからスーパーラウンドへの戦いを考えることも必要となってくる」と総括した。

 隔年開催が基本のW杯だが、コロナで延期になったことで、23年(令5)も連続開催が決まった。どんな選手でいかに戦うか。明徳義塾を指導しながらも、日本代表監督として、全国の選手たちの情報を集め、チーム編成をイメージした。

 W杯で勝つチームをつくる。そこにこれまでの経験を集中した。23年4月には候補選手を集めた合宿を行い、一段階上のチームにする青写真を描いた。

 ◇馬淵 史郎(まぶち・しろう)1955年(昭30)11月28日生まれ、愛媛県八幡浜市出身の70歳。三瓶高―拓大。83年に社会人の阿部企業で監督に就任、86年に都市対抗初出場、日本選手権で準優勝。90年から明徳義塾の監督に就任、02年夏の甲子園で優勝。監督として甲子園通算39回出場(春17回、夏22回)は歴代1位。甲子園55勝は歴代4位。23年には日本代表監督としてU―18W杯優勝を果たした。

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