【内田雅也の追球】幸運を呼ぶものは何か

[ 2026年3月11日 08:00 ]

オープン戦   阪神2―1西武 ( 2026年3月10日    甲子園 )

<神・西>8回、中前適時打を放った西純(撮影・岸 良祐) 
Photo By スポニチ

 幸運について考えてみたい。

 昨年オフ、投手から野手に転向した阪神・西純矢が決勝打を放った。中前への幸運なポテン打だった。

 6回表の守りから右翼に入り、1―1同点の8回裏1死三塁で打席が回るという巡り合わせがあった。高いフライで、前進守備の内野手と外野手の間が広かった。浜風と六甲おろしが混じる複雑な風も吹いていた。あの場面で打席が回ることや、守備体形や、風や……すべてがついていた。

 いわゆる“もっている”というやつは、生まれつきの星回りといった意味合いが強い。ここで書きたいのは後天的な、彼自身のことだ。

 監督・藤川球児も西純について「日々の……う~ん……そういうものが出てきたというか……」と言葉を探しあぐねた。

 日本では古くからこうした幸運な安打を心と結びつけてきた。明治の草創期の球界をリードした一高(今の東大)ではポテンヒットを「人格的ヒット」と呼んだ。『甲子園の心を求めて』を著した佐藤道輔が監督を務めた都立大島高では「テキサスヒットは闘志、努力の安打」と言い合った。

 野球の神さまが見ていたというほどではない。藤川も「まだ何も始まっていませんから」と言った。単なるオープン戦で、戦力としてうんぬんするものではない。

 ただし幸運は努力の証しとして記憶にとどめたい。昨年11月、秋季キャンプ(高知・安芸)で球団スペシャルアンバサダー(SA)の糸井嘉男が自身の打者転向当時を振り返り「寝てなかった。『おまえ、何億スイングも遅れてるぞ』って言われた」と話していた。

 幸運の女神は謙虚さを好むと当欄で何度も書いてきた。『渡部昇一 一日一言』(致知出版社)にある。<何かうまくいったら、自分の力だと思いたいところをそう思わない。反対に、まずいことが起こったら、人のせいとか運のせいにしないで、どうすればそれを避けえたかと考えるのが幸運に至る王道である>。

 試合後、西純は「でも、まだまだやること多いと思うんで、今日の結果に満足せず、明日から頑張りたいと思ってます」と言ったそうだ。この謙虚さは幸運を呼ぶ。この先、逆に不運にあっても変わらずにいたい。

 次の甲子園はいつになるか。先を見ず、この一打を「また、いい練習ができる」という糧にすればいい。 =敬称略=
 (編集委員)

続きを表示

「阪神」特集記事

「大谷翔平」特集記事

野球の2026年3月11日のニュース