20歳の「お姉ちゃん」がたった1人で燃やした高校野球への情熱…勤続65年目を迎えた「東京高野連の母」

[ 2026年2月11日 21:03 ]

東京高野連の横山幸子事務局長(中央)、北畠知栄美さん(左)、兼平真奈さん(撮影・柳内 遼平)
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【元公務員記者の目】 2020年にスポニチに入社した記者の前職は地方公務員。福岡県福津市の教育委員会で3年間、スポーツ担当の仕事に励み、スポーツを「する・みる・ささえる」の活動を通して市民の生活向上を目指した。連載「元公務員記者の目」ではアマチュア野球担当の記者が「ささえる」人々の活躍を伝える。第2回は東京都高等学校野球連盟の横山幸子事務局長(84)。勤続65年目を迎えた超ベテランが歩みを振り返った。(聞き手 アマチュア野球担当キャップ・柳内 遼平)

 ――1961年に日本学生野球協会の事務局員になり、翌年から東京高野連も兼務。63年から東京高野連の専任として支えてきた。
 「私がここに来たのは昭和37(1962年)年のことでした。当時の連盟にはまだきちんとした職員はおらず、学生アルバイトのような方が手伝っている程度。お給料も封筒に入れて“はい!”と渡されるだけ。そんな時代でした(笑い)。これでは私の後に来る人が困るだろうと、税務署や役所に行って一から帳簿をつくり、社会保険などの仕組みも整えていきました。何もないところから、連盟としてのシステムをゼロからつくっていったんです。当時は20代そこそこ。右も左も分からない若造でしたが、税務署の方が本当に親切に教えてくれたことを覚えています」

 ――今でこそ東京高野連は複数人の職員によって運営されているが、当初は横山事務局長の“ワンオペ”状態。
 「もちろん学校の先生方とともに仕事を進めていきますが、事務員が一人体制の時代は本当に休まる暇がありませんでしたね。帰宅が夜中の12時を過ぎることもありました。私の自宅の電話番号も名簿に載せていたので土日だろうが、夜中だろうが、電話がかかってきます。“公式戦は明日なのに背番号を失くしてしまった…”なんて電話が土曜の夜にかかってきて、慌てて事務所を開けて背番号を渡したこともありました。それくらい現場との距離が近かったですし、私がやらなきゃ誰がやるんだ、という思いでしたね」

 ――今では信じられませんが、かつて東京の高校野球はメディアの扱いが小さかった。どのように立ち向かった。
 「昔は新聞の扱いも凄く小さかったんです。全国版のスポーツ欄の隅っこにスコアが載る程度。“もっと東京の高校野球を知ってもらいたい”と思って、朝日新聞や読売新聞に電話をかけました。ある新聞社に東京大会の記事を大きく載せていただいた際には“あっちの新聞は載せてくれたから、そちらも書いてくれませんか”と他社に電話をしたものです。連盟に読者からの反応が届けば、すかさず各社に知らせていましたね(笑)。半分ハッタリみたいなものですけど、そうやって競わせるようにして記事を大きくしてもらったこともあります。そうすると記事から東京の高校野球に興味を持ってくれる方が増え、だんだんと観客動員が伸びていきました。サッカーのJリーグが発足して野球人気が落ちた頃は“座って待っているだけじゃダメだ”と、団体割引のチケットプランをつくりました。工夫の積み重ねで少しずつ注目されるようになり、スタンドにお客さんが入るようになった時は本当にうれしかったです」

 ――当時は結婚を機に専業主婦になる寿退社が一般的だった。35歳で結婚した際、なぜ仕事を続けられたのか。
 「“辞める時は結婚する時”という価値観が当たり前の時代でした。結婚する時に周囲からは“家庭に入って家業(飲食店)を手伝うべきだ”という声がありました。当然ですよね。ところが、当時の(東京高野連)理事長が結婚式のスピーチで仕事ぶりを凄く褒めてくれたんです。それを聞いた主人の父が“幸子さん、あなたは辞めることはならん。仕事を続けなさい”と言ってくれたんです。これには(周囲も)黙るしかありませんでした(笑)。あのスピーチがなければ今、私はここにいないでしょう。その時、内心は辞めたくなかったのでスピーチに感謝です。主人も野球好きなので、私が勤めを続けることを喜んでくれましたね。大会にも毎回来てくれましたし、選手名簿の表紙の写真を撮ってくれたこともありました」

 ――長年勤務してきた中で野球への価値観は変わった。
 「当初は野球のルールもよく分からなかった私ですが、大会で子どもたちが負けて泣いている姿を見て、もらい泣きするようになっていました。この子たちは泣くほど真剣に野球に向き合っているんだなって。こんなに野球っていいものなんだなって。いくら仕事が大変でもこの子たちのためにやれることは全てやってあげたいって思いになりました。一人ひとりが本当にかわいいと思えるようになりました」

 ――今年は選抜大会に東京代表として帝京が出場するなど高校野球の1年が再びスタートしていく。意気込みは。
 「昔は選手たちと歳も近くて“お姉ちゃん”なんて呼ばれていましたけど、気づけば84歳(笑い)。足も悪くなってきましたし、若い職員の子たちがとても優秀で、私がいると邪魔なんじゃないかといつも言ってるんですけど“いてくれるだけでいい”なんて言ってくれるから、ついつい居座っちゃっています。本当に勤め先に恵まれました。足が悪くなって、なかなか甲子園に行くことは難しくなりましたが、また東京のチームが優勝旗をつかむ姿を見たいです。これからも応援を続けていきます」

 ◇横山 幸子(よこやま・ゆきこ)1941年(昭16)12月18日生まれ、長野県上田市出身の84歳。坂城高校出身。東京高野連事務局長。

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