「誰、この人?」親も忘れた記憶喪失から異例の寄付活動へ…米大学野球からMLB目指す22歳の日本人投手

[ 2026年1月4日 08:30 ]

米国の大学野球界で寄付活動を続ける奥村(提供写真)
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 イリノイ州立大のサイド右腕・奥村秀斗投手(22)はMLBスカウトが視察に訪れた好投手だ。天理(奈良)時代は世代屈指の豪腕として知られた達孝太(現日本ハム)の控え投手に甘んじたが、高校卒業後は海を渡り、米国の大学野球リーグでキャリアアップを続けている。(全2回の第2回 取材 アマチュア野球担当キャップ・柳内 遼平)

 奥村は「アメリカンドリーム」の階段を着実に上っている。日本の大学野球とは大きく環境が異なり、結果を残せばレベルの高い大学に編入が可能で、逆に実力不足と判断されれば「戦力外」になる弱肉強食の世界だ。

 「自分の友達を含めて米国の大学野球に挑戦している選手は環境に言い訳しない選手が多いと思います。“どんな環境でも絶対に成功してやる”という意思の強さがある。野球の技術も大切ですが、メンタルの面、負けず嫌いであることも大切だと思いますね」

 サイドとアンダーの中間で腕を振る変則右腕は130キロ台前半のシンカーを軸とし、スライダー、カットボール、ツーシームで打者のタイミングを外す投球術が持ち味。渡米後の3年間でモントレー・ペニンシュラ大、アーカンソーリッチ・マウンテン大、最高峰の舞台であるNCAAディビジョン1に属するミシシッピバレー州立大の3大学でプレー。そして、来季も同じディビジョン1のイリノイ州立大で大学ラストシーズンを迎え、来夏のMLBドラフト、来秋のNPBドラフトで指名を目指している。

 そんな右肩上がりのキャリアを歩んできた奥村だが、モントレー・ペニンシュラ大でプレーしていた23年2月に「記憶喪失」を経験した。慣れない環境で蓄積したストレスに、野球で結果を残すプレッシャーが加わったことで試合後に意識を失い、緊急搬送された。病院で目を覚ますも「本当に何も覚えてなくて…。日本にいる親と電話しても誰、この人?という感じ。スマホのロックを解除する番号も、自分が右投げか、左投げかも分からなかった」と回想する。

 その後は約2カ月の休養期間を設けたことで、家族のこと、米国大学野球に挑戦した経緯など記憶は少しずつ回復した。それでも「今でも85~90%くらいしか思い出せていない。YouTubeで自分のフォームを見て“こうやって投げていたんだ”と思った。変化球の握り方は全て記憶喪失の前とは違いますね」と失ったものは少なくない。

 異国の地で経験した「記憶喪失」。周囲からは帰国することを勧められたが、奥村は挑戦をやめなかった。「普通だったらやめていると思います。ただ、自分のスマホを見直していた時に野球をしている姿が残されていた。野球は自分の命みたいなもの。周囲の方々の支えのおかげで続けることができたと思います」と決断を振り返る。高校時代の記憶は乏しく、現在も気を遣って同窓会には参加していない。米国で挑戦を続け、新しい記憶で人生を満たすことを決めた。

 壮絶な経験が新たな感情を生んだ。「倒れた当時は何も考えていなかったのですが、野球を続けていく中で“全員ができるわけじゃない。環境や病気により野球がやりたくてもプレーできない人たちがいる”と思うようになり、他の大学生がしないような挑戦をしようと思いました」。選んだのは金銭的には恵まれていない大学生としては異例の寄付活動だった。

 ミシシッピバレー州立大で迎えた25年シーズンは1イニング投げるごとに18ドル(約2800円)を寄付。イリノイ州立大で迎える26年シーズンも1アウト5ドルの条件で継続する予定だ。25年シーズンは総額で約360ドル(約5万6000円)を寄付することができた。自分のためにグラブを買うことだってできる金額だが「少しのお金でも誰かを助けることができればいい。プロになって、もっとお金を稼ぐことができたら病気と闘っている小さな子供たちに援助できる額も増える」と迷いはない。

 MLB&NPB入りを狙う夢、そして大義を背負って挑む大学ラストシーズンで4年間の集大成を披露する。(終わり)


◇奥村 秀斗(おくむら・しゅうと)2003年9月25日、米ミシガン州生まれ、大阪府高槻市出身の22歳。南平台小1年から本山フレンズで野球を始め、中学時代は関西高槻中央ボーイズでプレー。天理(奈良)では2年秋、3年春夏にベンチ入りし、甲子園出場はなし。1メートル75、80キロ。遠投100メートル。憧れの選手はタイラー・ロジャース。右投げ右打ち。

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