【選抜100年 世紀の記憶】疫病に奪われた初の甲子園 平田が味わった葛藤の日々 コロナ下の球児

[ 2024年3月12日 07:00 ]

選抜中止が発表された20年3月11日の平田ナインのグループライン
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 連載「選抜100年 世紀の記憶」の最終回は、新型コロナウイルス感染拡大により史上初の大会中止に追い込まれた激動の2020年に迫る。21世紀枠に選出されていた平田(島根)は、春夏通じて初の聖地を疫病に奪われた。植田悟監督や選手らが当時を振り返り、未曽有の非常事態から現在に至るまでの「コロナ世代」の本音をひも解く。 (河合 洋介)

 20年3月11日、第92回選抜大会の臨時運営委員会が大阪市内で開かれ、日本高野連は選抜初の大会中止を決めた。会見に登壇した八田英二会長は「(高校野球の目的は)学校教育の一環であり、選手の健全な心身の発達に寄与すること。原点に返って苦渋の決断をした」と説明。21世紀枠として甲子園初出場を控えていた平田ナインには、午後6時頃に坂根昌宏校長から大会中止が知らされた。

 多くの選手が涙をこらえて帰途に就いた。主将の保科陽太は、自宅に戻って1人で泣いた。「ずっと甲子園出場が夢でした。ベッドに入ったまま涙が止まらなかったですね」。母の「ご飯にするよ」との涙声が聞こえても、自室にこもって泣き続けた。冷静沈着なエースの古川雅也も家で涙を流した。「親に会って気が緩んだのかな」。人前では気丈に振る舞いながら、高校生の心は傷ついていた。

 島根では全国大会を控える部しか活動できなかった。選抜中止と同時に野球部は活動休止となり、休校は4月18日から5月末まで長引いた。夏の甲子園開催も危ぶまれていた4月下旬、植田監督は部員に手紙を書いた。「気合を入れるために君たちに手紙を送ります」(原文まま)と始めた。「苦しいとき、つらいときに頑張れるかどうかが人生では一番大切なことなのです。(中略)人生も野球と同様にピンチはチャンスなのです」(同)。手紙を受け取った選手は、目前に迫る夏の現実を受け入れる覚悟も求められていた。そして約1カ月後の5月20日、日本高野連は夏の甲子園大会と地方大会の中止を発表した。

 1人で自主練習を繰り返すだけの毎日に、捕手の三島毅輔は心境の変化を感じていた。「夏の大会がなくなって、一度引退したような感覚になりました。そこから皆と練習ができる、つまり選手に戻れるとなったときに、野球を楽しいなと思っていた頃の感情にまで戻れたんです」。厳しい練習に食らいつくことに精いっぱいだった日々から距離を置くことで、練習を工夫して上達することの喜びを思い出した。全体練習が再開された6月以降は「まじで野球が楽しかった」と新境地にいた。その変化には2年生の都田明日生が「めっちゃ楽しそうに野球していましたから」と気が付くほどだった。

 8月には聖地に立つこともできた。選抜に出場予定だった32校が甲子園に招待され、交流試合が実施された。勝敗に関係なく1試合限定で、平田は創成館(長崎)に0―4で敗れた。その試合後のテレビ取材でのことだった。植田監督が号泣した。普段は厳しく、選手にとっては鬼のような監督がテレビカメラの前で泣いた。「素晴らしい舞台に立たせてもらえた感謝と、この素晴らしい舞台に挑戦することすら許されなかった多くの高校生の気持ちを思うと涙が出たんです」。コロナ下で葛藤を続けていたのは、指導者も同じだった。

 激動の一年から4年がたった。大学生になった当時の球児は、高校野球に未練を残していないだろうか――。

 「ずっと目標にしてきた甲子園で野球ができた。僕は完全燃焼できました」(保科)

 「完全燃焼はできなかったですね。でも、もうコロナを恨んだりしていないです。今は関学大でプレーさせてもらって、悔しい思いをしたのはリーグ戦がなくなった先輩たちも同じだったのだなと気付いたので」(古川)

 「招待試合は野球人生の中で一番楽しかった。でも今でもたまに“観客のいる甲子園はどうだったのかな…”と考えます」(三島)

 「僕らはかわいそうな世代なのかもしれないけど、今、何をすべきかを考える力は普段のように甲子園を目指す高校生よりも身に付いたのかな」(都田)

 選出されていた32校は92回大会の出場校として記録されている。コロナ世代と呼ばれた高校球児の涙、今も簡単には割り切れない複雑な感情、困難と向き合い続けた時間も全て歴史の一ページに刻まれ、選抜は今春で記念すべき100周年を迎える。 =敬称略、終わり=

 ▼平田・江角ふうか元マネジャー(選抜中止は)悔しかったけど、マネジャー同士で“選手の方がショックが大きいはずだから、私たちが泣いたらいけん”と話し、部室に戻ってからマネジャーだけで泣きました。(甲子園の招待試合は)みんな凄く楽しそうに見えました。最後の1年は選手が悲しむ姿も見てきたので、喜ぶ姿を見られてうれしかった。選手に支えてもらい、楽しい3年間でした。

 《コロナ下、野球関連の主な出来事》20年は新型コロナウイルス感染拡大防止のため4月から5月にかけて緊急事態宣言が発令されたこともあり、第92回選抜高校野球大会をはじめ、さまざまな野球の大会、リーグ戦が中止および延期となった。主な出来事を時系列で列挙する。

 ▽4月2日 JABAが第46回社会人野球日本選手権、第45回全日本クラブ野球選手権、JABA地方大会の中止を発表。

 ▽5月12日 全日本大学野球連盟が第69回全日本大学野球選手権を史上初めて中止とすることを発表。

 ▽5月20日 日本高野連が第102回全国高校野球選手権大会ならびに第65回全国高校軟式野球大会について、地方大会を含めて中止とすると発表。戦後初。

 ▽5月25日 プロ野球12球団は代表者会議を開催し、セ・パ両リーグのペナントレースを当初予定していた3月20日から約3カ月遅れとなる、6月19日に開幕すると発表。通常の143試合から120試合制とすることも併せて発表。

 ▽6月5日 全日本大学野球連盟が東京六大学野球、関西学生野球、関西六大学野球の3連盟の春季リーグ戦延期開催ならびに他リーグの中止を発表。

 ▽6月10日 日本高野連が第92回選抜高校野球大会に出場予定だった32校による「2020年甲子園高校野球交流試合」を8月10日から開催すると発表。

 ▽7月2日 関西六大学野球連盟が延期開催予定だった春季リーグ戦の中止を発表。JABAは第91回都市対抗野球大会の開催を決定。

 ▽7月28日 関西学生野球連盟が延期開催予定だった春季リーグ戦の中止を発表。

 ▽10月9日 日本学生野球協会が第51回明治神宮野球大会の中止を発表。

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