巨人ドラ3・田中千晴 音楽一家の剛腕が描く唯一無二の成長曲線

[ 2023年1月24日 05:30 ]

キャッチボールをする巨人・田中千(撮影・篠原 岳夫)
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 【23年度球界新士録(8)】巨人ドラフト3位指名の田中千晴投手は順風満帆の野球人生だったらプロ野球選手になっていなかった。「野球エリートではなかった」。大学で野球を続けたのも、敗北がきっかけだった。

 「高校でやめようと思っていたんですけど、最後の夏の大会でめちゃくちゃ悔しい負け方をした。後味が悪いというか、やりきれている感じがなかった」

 浪速高3年時の南大阪大会。2回戦で三国丘に1―4で敗れた。4失点に「僕のせいで負けた」。不完全燃焼の夏が、野球熱を強くさせた。「東京で勝負したい」と指定校推薦で東都1部の強豪・国学院大に進学。ただ、スポーツ推薦のセレクションには落ちていた。

 「いろんなことに興味があった。最初からうまかったら、続けていなかったかもしれない」と笑う。最初の習いごとはピアノ。幼稚園の年少から年長まで続けた。小1からは水泳を始め、体育の授業ではバスケットボール、バレーボール、サッカーなど、どの種目でも活躍した。「小学校ではとにかく遊んでいた記憶しかない」。右腕が野球を続けたのは、伸びしろに「期待できた」からだった。

 父・康雄さんはトランペットをたしなみ、母・三知代さんが電子オルガンの先生という音楽一家で育ち「中学校の時は、週に3回ぐらい朝並んでカラオケに行って、7、8時間歌っていた」という。入寮時にはギターを持ち込み、秦基博の「ひまわりの約束」を熱唱した。人前でも堂々と歌える強心臓の持ち主。お立ち台でのミニライブも目標の一つだ。

 プロ野球選手らしくないとも言える道を歩んできた最速153キロの個性派は「自分を成長させるのが好き」。誰とも似ていない成長曲線を描き続ける。(小野寺 大)

 ◇田中 千晴(たなか・ちはる)2000年(平12)9月21日生まれ、大阪府出身の22歳。小2で野球を始め、赤坂台中では軟式野球部。浪速では甲子園出場なし。国学院大では2年秋からベンチ入り。右肘痛を乗り越え3季ぶりの登板となった4年春の東都1部・中大戦で自己最速の153キロをマークした。同年秋は2勝を挙げて2季ぶりの優勝に貢献。1メートル89、85キロ。右投げ右打ち。

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2023年1月24日のニュース