【内田雅也の追球】見えた「ナマズ効果」

[ 2021年2月2日 08:00 ]

矢野監督(右)と話す川相臨時コーチ(撮影・坂田 高浩)
Photo By スポニチ

 かつてノルウェーで捕ったイワシを船の生け簀(いけす)に入れて持ち帰る漁法があった。冷凍技術がない時代である。

 生きたままの方が高値がつくが、繊細なイワシは運搬中に死んでしまう。ところが1隻だけ生きたまま持ち帰る船があった。秘密は生け簀に入れていたナマズだった。

 淡水魚のナマズを海水に入れると暴れ回る。その姿にイワシは緊張して泳ぎ続け、生きたまま水揚げできたわけだ。

 本当かどうかは分からない。住宅販売・施工のミサワホーム創業者の社長・三澤千代治の作り話だとも伝わる。

 ただし、安穏とした組織には刺激を与える人材が必要だという主張はよく分かる。「ナマズ効果」である。

 阪神の沖縄・宜野座キャンプ初日。臨時コーチに巨人、中日OBの川相昌弘が加わった。昨年まで3年連続12球団最多失策の守備面の強化に、現役時代ゴールデングラブ賞6度の名手の知恵を借りたい。通算最多533犠打の記録を持つバントの極意も学びたい。

 伝統の一戦を戦うライバル球団のOBに指導を請うのは勇気がいったことだろう。この異質を好んで取り込む姿勢に、チーム強化の本気度、危機感が表れている。

 歴史的に見て、阪神が優勝する時には必ずナマズがいた。
 2リーグ制初優勝の1962(昭和37)年は巨人初代監督の藤本定義が監督を務め、その右腕のヘッド格には巨人OBの青田昇がいた。

 85年の優勝、日本一はどうか。当時を振り返り、OB会長・川藤幸三は功労者に小林繁をあげる。江川卓とのトレードで巨人から移籍した小林は掛布雅之や江本孟紀らを前に「阪神は歴史があっても伝統がない」と言い放った。5年在籍、83年限りで引退したが、川藤は「個人の力はあっても、チームで勝利に向かう姿勢に欠けていた。虎の血にGの遺伝子を注入してくれた」と話す。

 2003年の優勝は星野仙一の功労はもちろん、前任者に野村克也という大きなナマズがいた。

 初日。川相は精力的だった。そして、ヘッドコーチに昇格した井上一樹や内野守備にバント担当の肩書もついたコーチ・久慈照嘉ら指導者が川相の話に耳を傾けていた。ナマズはよく動き回り、イワシに緊張感がみなぎっていた。この分なら、問題の選手たちも生きるだろう。 =敬称略=
 (編集委員)

続きを表示

2021年2月2日のニュース