【内田雅也の追球】虎の子よ、風を起こせ。

[ 2021年1月7日 08:00 ]

阪神オーナー・野田誠三氏(当時)が虎風荘に遺した「プロ十訓」

 阪神の独身寮「虎風荘」ができたのは1962(昭和37)年3月5日だった。甲子園球場の東側に鉄筋コンクリート5階建て、電鉄本社が建設し球団が借り受けた。

 初の本格的な寮(合宿所)だった。戦前は作家・佐藤紅緑邸を譲り受けた「協和寮」、戦後は今津の2階建て借家(後の藤村富美男邸)や甲子園三番町の平屋、やっこ旅館、夕立荘の一部、一塁側アルプススタンド西側の「若竹荘」があった。

 「虎風荘」と命名したのは当時のオーナー(電鉄本社社長)、野田誠三である。京大出の入社3年目、若手技師だったころ、甲子園球場を設計した。戦後は52年から74年まで23年の長きにわたりオーナーを務めた。

 出典は中国北朝の史書『北史』で「虎嘯風生」(コショウフウショウ)からとった。

 「虎嘯風生 竜騰雲起」で「虎嘯(うそぶ)いて風生じ、竜騰(のぼ)りて雲起こる」と訓読みされる。虎がほえ叫んで風が起こり、竜が天に上り、雲を巻き起こす。「英賢奮発 亦各因時」と続く。英雄が奮起するのも、時を得たからだといった意味だ。

 球場東側にあった当時は1階応接室に野田直筆の命名書が掲げられていた。94年の鳴尾浜移転後はどうなったろうか。

 虎がほえれば、風が生まれる。自然をも動かすことができる。風だ。虎の子、若虎たちが野球界に旋風を巻き起こしてほしい。タイガースを愛した野田の思いを思い起こしたい。

 6日は阪神新人選手たちの入寮日だった。ドラフト1位の佐藤輝明らが相次いで寮に入った。

 荷物を運び込み、部屋を整理し、先輩たちにあいさつし……と忙しい1日だったことだろう。2階ロビーに掲げられている「プロ十訓」は目に入っただろうか。

 これも、野田が書き残したものだ。「プロとは」として10項目あげている。「仕事に命を賭(か)ける人である」「不可能を可能にする人である」「自分の仕事に誇りを持つ人である」「時間より目標を中心に仕事をする人である」……と続き、「常に努力する人である」と締めている。

 確かに紙はセピア色に色あせているが、少しも古びていない。

 巨人には「紳士たれ」など、創設者のオーナー・正力松太郎の有名な遺訓がある。阪神の「プロ十訓」も今に通じる立派な訓戒だろう。 =敬称略= (編集委員)

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2021年1月7日のニュース