【猛虎最高の瞬間(9)】最後の打席は本塁打で幕 「史上最強の助っ人」バース

[ 2020年6月12日 08:00 ]

1988年5月5日に東京ドームで行われた巨人戦で鹿取から2号ソロを放ったバース
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 創刊72年目のスポニチ紙面を掘り起こし、偉大な選手たちが阪神のユニホームで打ち立てた「猛虎最高記録」と、その瞬間に迫る連載の最終回。球団助っ人史上最多本塁打、最多打点、最高打率(2000打数以上)を誇るランディ・バース内野手(当時34)が、202号本塁打で486打点目を記録し、通算打率・337を確定させた1988年5月5日にスポットライトを当てる。

 【1988年5月5日】東京ドームで巨人相手に3連勝を飾った日だった。翌日付スポニチ大阪版1面の見出しは「岡田 万感3ラン」。主役は7回に決勝逆転3ランを放った岡田彰布だったが、そのメイン記事の途中から2番手扱いで、ダメを押したランディ・バースのシーズン2号ソロも触れられていた。

 2点リードの8回2死無走者、4番・バースは相手5番手・鹿取義隆と対峙(たいじ)した。そして、3球目を敵地の右翼スタンドへ運んだ。自身通算202号で、通算打点を486に伸ばした一発。「センターの栄村がいったん捕球体勢に入ったのには、ビックリした。ドームのマジックで見失ったんだと思うよ。自分としては手応え十分だったから。きょうはこどもの日。病気のザクリーのためにいいところで打つことができた」と冗舌に振り返った打席が、バースの阪神での最後の勇姿となった。

 快勝劇の裏では、暗雲が立ちこめつつあった。この試合の7回、第4打席でバースは自打球を右足に当てた。球場から引きあげる際は、沈痛な面持ちで右足を引きずっていた。翌日もその腫れが引かず、試合を欠場。だが事態は、それだけにとどまらなかった。

 悪いことは重なる。同じ6日、神戸市内の病院でCT検査を受けていた長男ザクリー君が「水頭症の疑い」との診断も受けていた。翌日に「水頭症」と診断された愛息の看病のため、バースは7日以降も戦線離脱を余儀なくされた。そして、14日、米国で再検査を受けさせるべく帰国。15日付スポニチには「息子さえ良くなれば、一日も早く帰ってきてプレーするつもりだ」と力強いコメントを残した。だが再びタテジマのユニホームに袖を通すことはなかった。

 バースは球団との間で合意していたとされる6月17日の期限を過ぎても、帰ってこなかった。そして10日後の27日、球団は米カリフォルニア州サンフランシスコ滞在中のバースに国際電話を掛け、契約解除を通告したのだった。「史上最強の助っ人」の引き際は、あまりに寂しいものだった。そして202本塁打、486打点、通算打率・337(2000打数以上)が、助っ人打者の「猛虎最高記録」に決まった。(惟任 貴信)=終わり=

 《ボーアに「バース超え」期待》今季から新加入したボーアには「バース超え」の期待が掛かる。国内他球団を経ていない阪神の新助っ人が30本塁打を放てば、89年のフィルダー(38本)以来31年ぶり。それを左打者に限ると83年のバース(35本)以来37年ぶりとなる。さらに条件を「40本塁打以上」に絞ると、76年のブリーデン(40本)以来44年ぶり2人目となり、左打者では球団史上初。今季は120試合制だが、不可能な数字ではない。

 《猛虎史上最強助っ人投手はメッセ》猛虎の助っ人投手の「史上最強」は昨季まで在籍したメッセンジャーだ。最多勝利こそ100勝のバッキーに次ぐ98勝ながら、1475奪三振はバッキー(799)を大きく引き離し、NPBの助っ人史上最多記録に君臨。加えて投球回数1606回1/3、在籍年数10も猛虎史上最高。また球団最長タイの5年連続、助っ人最多の6度の開幕投手を務めており、「史上最強の助っ投」と言える。

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