【球春ヒストリー(11)】2009年・彦根東 21世紀枠での出場で得た「財産」

[ 2020年3月30日 09:00 ]

09年3月26日、習志野にサヨナラ負けをした彦根東ナインは甲子園球場を後にする
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 21世紀枠での出場が、その後の彦根東の躍進につながった。滋賀県内屈指の進学校として1953年以来、56年ぶり出場を果たした09年の第81回大会。当時、野球部顧問で11年から監督を務める村中隆之氏(51)は、初戦敗退のなかで多くの「財産」を手にしたという。

 「どのレベルが甲子園のレベルなのかということを具体化することができました。一つ一つの試合に向けての準備。甲子園に出たことで“どうすればいいか”から“何をすればいいか”を考えるようになりました」

 前年秋の関東大会で準優勝した習志野とは接戦だった。4回に甲津賢人、前川大地の連続二塁打で1点を先制。エース右腕・金子周作は5回まで1安打投球だったが、脱水症状で右足けいれんするなど6回に逆転を許したところで降板した。8回に再逆転したが、同点の9回2死二、三塁から大沢信明がサヨナラ打を浴びた。

 村中氏が何度も発した「何をすればいいか」の項目はグラウンド以外にも及ぶが、野球に関しては大きく5点に分類される。
 (1)投手 右上手なら最速の下限を135キロ(09年当時)に設定。技術、体力が向上した現在は「140キロは出ないと苦しい」とし、届かない場合はサイドなどに変更。左腕の育成も含め、確かな目安ができた。

 (2)守備 習志野戦では左翼手の失策など外野守備力の差を感じた。監督就任後は外野強化にもウエートを置く。「内野を守れる子が7人いれば、外野もつくれる。内野の経験者は“だいたい”ではなく“ここ”を狙う」。17年秋の近畿大会1回戦・明石商戦の9回2死一、二塁からの中前打で好返球し本塁補殺した中堅手・野崎重太は夏まで遊撃手の転向組だった。

 (3)打撃 レベルスイングを徹底するべく各打者のトップの位置にこだわった。「グリップを捕手よりに向けること。体格差で多少のズレはあっても肩の高さのライン」。春初勝利をあげた18年選抜では出場36校中、11番目のチーム打率・358を残していた。

 (4)体づくり 進学校ゆえ勉強時間の確保におわれ睡眠時間が少なくなることは体つくりにマイナス。立命大・スポーツ健康科学部の海老久美子教授の助言を仰ぎ、個々にあった食事メニューを取り入れた結果、体重が増えるなど確実に体は大きくなった。
 (5)強豪校対策 「背伸びをしない。等身大の自分たちで戦うこと」。試合前の精神面の制御法に加え履正社や星稜など甲子園常連の強豪と練習試合を重ねた。

 以降は13年夏の初出場から18年春まで3度甲子園に出場し17年夏には波佐見から初勝利をあげた。21世紀枠の存在意義を示し、進学校が持つ無限の可能性も体現している。

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