“先輩”鈴木啓示氏がエール「1を選んだ松井君は勇気がある」

[ 2013年11月29日 08:03 ]

近鉄・鈴木啓示のピッチング

 楽天からドラフト1位指名された桐光学園の松井裕樹投手(18)は、プロ野球の投手としては異例の背番号1を自ら希望してつけることになった。背番号1の名投手といえば、鈴木啓示氏(本紙評論家)だ。1965年ドラフト2位で育英高から近鉄入りし、歴代4位の通算317勝。現役20年間を1番で全うした大エースも、その背番号を入団当時に自ら望んだ経緯がある。エピソードを語り、松井にエールを送った。

 近鉄入団の時、最初に提示されたのは確か、40番台だったと思う。主力の内野手だった矢ノ浦国満さんがちょうどトレードでサンケイ(現ヤクルト)に移籍し、背番号1が空いていた。それで「日本一の投手になりたいんです。一番になるんだと自分に言い聞かせて、やっていきたいんです」と頼んだ。球団の方には「プロ野球の投手は2桁の番号をつけるものなんだよ」とたしなめられたが、阪神ファンだった私は「バッキーだって4番やないですか」と言い返した。今考えれば厚かましい、恥ずかしくなるようなお願いだ。

 1年目の開幕は2軍で迎えた。5月の1軍デビュー後、打たれたときに「背番号1のピッチャーは高校野球で投げてこい」「甲子園で投げたらいいんや」などと相手チームだけでなく、近鉄ファンからもヤジられたのが印象に残っている。珍しかったし、ファンにとっては抵抗もあったのだろう。ただ、成績を出していくと、誰も何も言わなくなった。1番は野手なら王さん、投手なら鈴木。鈴木といえば1番だ、と言われるまでになった。

 背番号は野球選手の顔だ。その顔に「1」を選んだのだから、松井君は勇気があると思う。決断に至った時の気持ち、どんな選手になりたいんだという気持ちを忘れないでほしい。センバツ初戦で負けた私より、高校時代の騒がれ方は松井君が断然上だ。同じ左投手。「1」は昔は鈴木、今は松井だと言われるように、自分の顔になるように頑張ってもらいたい。

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2013年11月29日のニュース