時間的余裕なかった浩二監督…人選の遅れで準備が後手に

[ 2013年3月24日 10:22 ]

新井会長の苦渋の決断。選手会の不参加表明も影響

 侍ジャパンの山本浩二監督の就任発表は昨年10月10日。キューバとの親善試合まで1カ月と少しだった。選手の人選では、阿部、井端に「ベンチにいるだけでもいいから入ってほしい」と願い出るのがやっと。本大会で主力と期待される選手は、シーズンの疲れを取るという名目で若手中心で組まれた。

 「慌ただしい中でのメンバー編成となったが、若手がキューバ戦で力を発揮してくれ、多くが本大会のメンバー入りしてくれた」と山本監督は話すが、本大会へのステップとするには意義があったとは言えない。

 監督の人選は8月中に予定された。だが、日本プロ野球選手会(当時新井貴浩会長=阪神)が7月20日にWBCへの不参加を決め、その撤回は9月4日までずれ込んだ。さらに加藤良三コミッショナーが現役監督にこだわったことで長引いた。最終的には王貞治特別顧問に一任して、ようやく決まった。山本監督は評論家でグラウンドに足を運んでいたとはいえ、セ・リーグ中心の試合が多く、パ・リーグの選手の特徴を細かく分析できるほどの情報量があるとはいえない。実際に対戦したデータや、相手の特徴を肌で感じている現役監督とは違う。12月4日に発表された代表候補33人は「各首脳陣からの推薦」によって成り立っていた部分があった。

 選手から起きた2つの疑問は、対処する時間すらなかった。

 (1)2次ラウンドまでドーム球場 対策として屋内ドームでのキャンプは考えなかったのか。

 (2)米国での練習試合 決勝トーナメントの開催地・サンフランシスコと気候も試合時間も大きく違うアリゾナ州での2試合は必要だったか。

 (1)に関しては、監督就任時点で、宮崎合宿の大枠は固まっていた。(2)も同様で、大会主催者から提示された日程を調整する時間はなかった。

 3連覇を逃し、采配面に批判が出るのは仕方がない。だが、監督人選の遅れもあって、準備は駆け足で進めざるを得なかった。チームを熟成させるだけの時間的余裕は、指揮官になかった。

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2013年3月24日のニュース