松井 アスレチックス入団会見でリーダー宣言

[ 2010年12月16日 06:00 ]

ビリー・ビーンGMにユニホームを着せてもらう松井秀喜

 エンゼルスからFAとなっていた松井秀喜外野手(36)が14日(日本時間15日)、アスレチックスと1年契約の年俸425万ドル(約3億5700万円)プラス出来高で正式契約を交わし、本拠地のオークランド・コロシアムで入団会見を行った。日米100人を超す報道関係者を前に、少年時代に憧れた緑と黄色で彩られた背番号55のユニホーム姿を披露。大砲不在のチームの核となるべく先頭に立って引っ張る覚悟を口にして、チームにかつての黄金期を取り戻すことを誓った。

 これまでにない積極的な言葉が飛び出した。少年時代にマグワイア、カンセコのバッシュブラザーズの活躍に胸を躍らせ、憧れていたあの伝統のユニホーム。袖を通した松井の声は、普段以上に甲高かった。
 「素晴らしい才能を持った若い選手がたくさんいるチーム。十分プレーオフのチャンスはある。そのために僕自身が先頭を切って、みんなを引っ張っていけるようにプレーをしていきたいと思います」。リーダー宣言。4番DHの座を用意した球団の期待も、大砲不在の現状も理解している背番号55が大きく見えた。
 巨人―ヤンキース―エンゼルスと常勝軍団を渡り歩き、常に満員のファンに囲まれてきた。プロ19年目の新天地に選んだア軍は今季勝率5割で地区2位も、年俸総額は30球団中28位、観客動員数は29位。88~90年にリーグ3連覇し、00~03年には4年連続プレーオフ進出を果たすなど黄金期を築いたが、06年を最後にプレーオフからは遠ざかっている。「もちろん、お客さんがあまり入っていないことは実感している。でもいい野球、いいプレーをすればまたたくさん来てくださる。そういう形をつくりたい」。近隣に日本人コミュニティーも多く「そういう方々が多く球場に足を運んでくださるようになりたいと思う」として、かつての黄金期の輝き、球場の活気を自らのプレーで取り戻すつもりだ。
 最も必要とされる球団でプレーすることを重視してきた松井だけに「一番早く熱心に誘っていただいた。来てほしいという強い気持ちが、僕自身を引き付けました」。今季ア軍はチーム防御率3・58がリーグトップも本塁打は13位で得点は10位と貧打に泣いた。「あとはいかに点を取るかということ。その中心としてしっかり頑張る」。チーム浮沈を左右するのは自分のバットしかない。
 昨季は前半戦の不振が響いて打率・274、21本塁打、84打点の成績にとどまった。一方でここ数年悩まされた膝に大きな不安は出ず、1年間を乗り切った。「膝の状態を含め、健康状態は間違いなく良くなっている。来年のスタートの方がかなりいい地点から始められる」と手応えを強調。すでに11月中から自主トレを行い、打撃、守備練習も解禁。「どういう状況でも常に守る準備だけはしていきたい」とフル回転を誓う。
 「とにかく今は来年が楽しみな気持ちでいっぱい。そして必ず来年はいい1年を送り、終わった時にいい1年だったと言えるように精いっぱい頑張ります」。チームの命運を一身に背負うチーム環境は今までになかった。その重責を楽しむかのように、笑顔で彩られた松井の決意表明だった。

 ◆松井 秀喜(まつい・ひでき)1974年(昭49)6月12日、石川県生まれの36歳。星稜から92年ドラフト1位で巨人入団。本塁打王、打点王、MVPをいずれも3回ずつ、首位打者1回の成績を残し、02年オフにFA宣言しヤンキースに移籍した。巨人時代1年目の93年から、左手首を骨折した06年5月まで1768試合連続試合出場。09年ワールドシリーズMVP。今季はエンゼルスでプレーした。1メートル88、95キロ、右投げ左打ち。

 ▽オークランド・アスレチックス フィラデルフィアを本拠地として、1901年のア・リーグ創設から参加。カンザスシティーを経て68年からオークランドに移転した。1901年から50年間指揮したコニー・マック監督の下、ワールドシリーズ制覇5度。通算9度の世界一はヤンキース(27度)カージナルス(10度)に次ぎ3位。2000年以降は地区優勝4度。日本人選手は過去に藪恵壹、岩村明憲が在籍した。

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2010年12月16日のニュース