戦後の日米球界の橋渡し役 キャピー原田氏が死去

[ 2010年6月23日 21:23 ]

死去したキャピー原田氏

 戦後の日米球界の橋渡し役を務めたキャピー原田(原田恒男)氏が、米カリフォルニア州の病院で心不全のため今月5日に死去していたことが23日、分かった。88歳だった。複数の関係者が明らかにした。すでに葬儀を終えて同州の軍関係墓地に埋葬されたという。

 原田氏は米国出身の日系2世。連合国軍総司令部(GHQ)時代の1949年、日米親善野球の開催に尽力。64年に日本選手初の米大リーガーとなった村上雅則(当時南海)のサンフランシスコ・ジャイアンツ入りにかかわった。2009年には旭日小綬章を受章した。
 村上氏は「今年の米球宴で会えると思っていたので残念。日本の野球復興に尽力され、日本の野球殿堂に入ってもいい方だ」と故人をしのんだ。

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2010年6月23日のニュース