プロを夢見ていた16歳球児 悲劇の事故死

[ 2009年7月12日 06:00 ]

横転事故を起こした、私立柳ケ浦高の野球部員らが乗っていたバス

 全国高校野球選手権大会大分大会の開会式に向かっていた私立柳ケ浦高校(大分県宇佐市)の野球部員1、2年生46人が乗ったバスが11日、大分県日出(ひじ)町の大分自動車道日出ジャンクション付近で横転。この事故で2年生の吉川将聖(しょうせい)君(16)が車外に投げ出されて死亡、42人が重軽傷を負った。夏の甲子園を目指す晴れ舞台を前に起きた悲劇。同校の保護者会は、13日の初戦に出場するかを話し合ったが、結論は12日に持ち越された。

 大分自動車道のバス横転事故で亡くなった吉川君の遺体はこの日夜、奈良県桜井市内の祖父宅へ無言の帰宅。棺が家の中へ運び込まれる間、母親の歌織さん(38)は「将、将」と帰らぬ息子の名前を叫び続けた。遺体は飛行機で運ばれ、午後7時35分ごろ伊丹空港に到着。喪服姿で同乗した柳ケ浦高校の高橋和治校長と藤久保茂己監督は、家族と対面すると目を真っ赤にして深々と頭を下げた。家の中からは「起きて、起きて」と泣き叫ぶ母親の声が響いた。
 現場に駆けつけた地元消防などによると、事故が起きたのは午前8時半ごろ。雨の中、バスは日出ジャンクション付近で横転、車体からは路面との摩擦で火花が散った。「早く逃げろ、急いで出ろ」「爆発するかも」。大声が飛び交い、上を向いた車体右側の窓を開けて部員たちが次々と脱出。2年生部員は「うとうとしていたら、カーブでハンドルを大きく切ったので目が覚めた。その後、何度もハンドルを左右に切り、横転した」と事故の様子を振り返った。
 吉川君は窓から投げ出された部員2人のうちの1人で約10メートル飛ばされた。医師が現場に到着した9時半ごろには、重傷者は搬送され軽傷の約30人が残されていた。吉川君は救命活動を受けることなく死亡が確認された。多くの部員はしゃがみ込み、パニック状態に陥って「あいつが死んだ」と取り乱す部員もいた。
 「甲子園に行きたいといつも言っていた」。学校関係者によると、吉川君は捕手で新チーム結成の際には中心選手としての活躍が期待されていた。小学校の卒業文集に「メジャーリーガーになる」と夢をつづり、奈良・桜井東中では県内の少年野球チームに所属、4番で主将を務めていた。柳ケ浦では野球部寮の「闘球寮」で生活し、午後10時の消灯時間ぎりぎりまで素振りをしていることもあったという。
 2年生のリーダー的存在で、前日の練習後には藤久保監督と、この日夜に開催予定だった3年生の激励会で合唱する歌を選考。「指揮を執って歌も決めてくれと言った。“栄光の架橋”(ゆず)なんていいねと話していた」と藤久保監督。吉川君も「分かりました」と笑顔で話していたという。
 学校関係者によると、事故に遭ったバスは、91年製の旧型で同年に新車購入。運転席以外にはシートベルトが設置されておらず、馬場崇夫教頭は「ゆくゆくはつけないといけないと思っていた…」と言葉を詰まらせた。

 ≪「頑張り屋だった」≫歌織さんのいとこの吉田享史さん(40)によれば、歌織さんは「かなり動転しているし、しょうすいしている」。一家は歌織さんと将聖君、妹、弟の4人で、将聖君が野球を始めたのは小学生から。吉田さんは「母親や弟、妹思いの子。責任感の強い頑張り屋だった」と悔しさをにじませた。将聖君と小中学校で同級生だったという女性は「小学校時代から“イチローさんにあこがれている”“将来はプロ野球選手になりたい”と話していた」と話した。

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2009年7月12日のニュース