芳田 銅メダル獲得も涙、得意の内股で合わせ技一本「内股で勝ちたかった」

[ 2021年7月27日 05:30 ]

東京五輪第4日 柔道女子57キロ級 ( 2021年7月26日    日本武道館 )

3位決定戦、リパルテリアニ(左)から技ありを奪う芳田(撮影・小海途 良幹)
Photo By スポニチ

 女子57キロ級で初出場の芳田司(25=コマツ)は、3位決定戦でエテリ・リパルテリアニ(21=ジョージア)に一本勝ちして銅メダルを獲得した。

 初戦の2回戦、準々決勝と1年延期の間に習得した担ぎ技で連勝。体は動く。技も切れる。一気に頂点へ駆け上がると思われた直後の準決勝で、落とし穴が待っていた。延長2分すぎ、組み手に隙が生まれ、間合いを詰められたところで小外刈りに屈した。「相手の方が一枚上だった」と認めたが、気落ちしている時間はなかった。

 控室に戻り、増地克之監督に「メダルを獲るのと獲らないのとでは全く違う」とハッパを掛けられた。5年前のリオ、尊敬する63キロ級の田代が準決勝、3位決定戦と連敗してメダルを逃すさまを見ていた。同じ轍(てつ)を踏むわけにはいかない。気持ちを立て直し、3位決定戦では“宝刀”内股で合わせ技一本。「警戒され、練習でうまくいかない時期があったけど、やはり内股で勝ちたかった」と涙ながらに語った。

 小2の時、あり余っていたエネルギーを発散させようと、母・千代さんに連れられ近所の道場で柔道を始めた。すぐにのめり込むと、幼少期にバレエを習って得た柔軟性と、父・善英さんと毎朝行った京都御所でのラントレで、基礎体力を養った。父と一緒に神奈川の名門・相武館吉田道場をアポなしで訪れて見学。その日のうちに中学から親元を離れることを決意したことが、この日のメダルにつながった。

 5日後には初採用の男女混合団体戦が控える。金メダルを獲るチャンスはまだ、ある。「みんなで金メダルを獲りたい」。気持ちは満たされないと分かっていても、声を絞り出して前を向いた。

 ◇芳田 司(よしだ・つかさ)1995年(平7)10月5日生まれ、京都市出身の25歳。小2から京都・円心道場で柔道を始め、中学3年間は神奈川の相武館吉田道場に入門。福岡・敬愛高から14年4月にコマツに入社。同年11月の講道館杯でシニア大会初制覇。初出場した17年世界選手権で準優勝、18年に初優勝。19年は準優勝だった。全日本選抜体重別選手権は16、19年に優勝。1メートル56。左組み。得意技は内股。

続きを表示

2021年7月27日のニュース