重友1827日ぶり復活V!ロンドン五輪のリベンジへ大前進

[ 2017年1月30日 05:30 ]

大阪国際女子マラソン ( 2017年1月29日    ヤンマースタジアム長居発着 )

<大国際女子マラソン>5年ぶり2度目の優勝を果たした重友
Photo By スポニチ

 8月の世界選手権(ロンドン)の代表選考会を兼ねて行われ、重友梨佐(29=天満屋)が2時間24分22秒で優勝した。前半は無理せずに先頭グループから離れたが、余力を残して迎えた後半で逆転し、5年ぶりのマラソン優勝を果たした。突破すれば代表内定となった2時間22分30秒の派遣設定記録は切れなかったが、79位と惨敗した12年ロンドン五輪のリベンジを果たすための世界選手権代表入りに大きく前進した。

 笑顔でゴールテープを切ったが、見る見るうちに顔がくしゃくしゃになり、大きな瞳から涙がこぼれ落ちた。重友のマラソン優勝は、12年ロンドン五輪代表権をつかんだ5年前のこの大会以来1827日ぶり。「いい走りをできたのもここ。良くなかった経験をしたのもここ。また元気に最後まで走り切れたのはうれしい」。大阪では24歳で栄光をつかんだが、3年前には64位に沈み、昨年は5位でリオ五輪代表権を逃した地。栄光と挫折を味わった5年分の努力と苦労が表情にあふれ出した。

 頑固一徹な性格そのままに自分のペースを保ったことが勝因だ。日本陸連から前半は抑え気味に走るよう指示されていたペースメーカーが10キロすぎから急にタイムを上げたが、「前半は落ち着いて走り、後半にエネルギーを」と無理はしなかった。20キロ地点で先頭グループから20秒以上も離されても5キロ17分ペースを守り、30キロ手前で2位に浮上。一時は独走していた堀江を35キロで抜き去って、一気に競技場まで突っ走った。派遣設定記録こそ突破できなかったが、2時間24分22秒の優勝で世界選手権代表は有力となった。

 「忘れものを取りに行きたい」。右足首負傷を抱えていた12年ロンドン五輪は79位と惨敗。その後も世界では結果を残せず、復活を期した昨年も左かかとを痛めて夏まで3カ月間走り込みができなかった。今年に入っても調整が遅れ、天満屋の武冨豊総監督は「次の大会にスライドすることも頭をよぎった」と振り返った。しかし、重友本人が大阪出場を直訴。「自分の中では大阪で自己ペストを更新すると年の初めに目標を立てたので、そこはぶれたくなかった。私、頑固なんです」。本当の復活はロンドンの忘れ物をつかんでから。その先には東京五輪が待っている。

 ◆重友 梨佐(しげとも・りさ)1987年(昭62)8月29日、岡山県備前市出身の29歳。小学3年時に備前市ジュニア陸協で本格的に始める。興譲館高では主将を務めた3年時に全国高校駅伝優勝。天満屋入社後、2度目のマラソンとなった12年大阪国際女子マラソンで2時間23分23秒の好記録を出し初優勝。12年ロンドン五輪は79位。15年世界選手権(北京)は14位。趣味は音楽鑑賞。座右の銘は「幸せを幸せだと分かっている人間にしか幸せは来ない」。1メートル68、52キロ。

 ▼世界選手権の選考 女子マラソンの枠は最大3。選考会は(1)さいたま国際(昨年11月13日)(2)大阪国際(3)名古屋ウィメンズ(3月12日)(4)北海道(昨年8月28日)。(1)〜(3)で日本人1位となり、日本陸連の派遣設定記録2時間22分30秒を選考会終了までに突破した選手は内定。ほかに(1)〜(3)で日本人3位以内、(4)で日本人1位の中から総合的に選考される。さいたま国際では那須川瑞穂が2時間33分16分の5位で日本人トップ、北海道では吉田香織が2時間32分33秒で優勝している。

続きを表示

この記事のフォト

2017年1月30日のニュース