YMOに欠かせない存在 高橋幸宏さん、ゴム草履だった坂本龍一の服装変えた 奇才と天才つなぐ緩衝材

[ 2023年1月15日 02:03 ]

1979年12月、凱旋コンサートを前にインタビューを受ける(左から)坂本龍一、高橋幸宏さん、細野晴臣。80年代にテクノブームを巻き起こした
Photo By スポニチ

 死去した高橋幸宏さんはイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)に欠かせない存在だった。坂本龍一を奇才、細野晴臣を天才と評し、自身は凡人と自認。奇才と天才をつなぐ緩衝材のような存在としてまとめ役を担った。

 主旋律に寄り添う、正確なドラミングに定評があった。敬愛するドラマーの一人がビートルズのリンゴ・スター。ジョン・レノンとポール・マッカートニーという天才を邪魔せずに引き立てたリンゴのように、高橋さんもYMOの中で才能がぶつかり合う坂本と細野をうまくもり立てた。

 YMOのステージ衣装を手掛けていたのも高橋さん。結成前の坂本龍一は長髪にジーパン、素足にゴム草履という格好が定番だったが、手ほどきして意識改革。「教授」というニックネームの名付け親でもあった。出会った当時、坂本が東京芸大の大学院生だと知り「じゃあ、プロフェッサーだから教授」と名付けた。

 ドラマーだけでなく多彩な活動でも知られた。ピンク・レディーや山下久美子らをプロデュースし、竹内まりや、田原俊彦、堀ちえみらに楽曲を提供。レコーディングやライブなどで演奏に参加したアーティストは山下達郎、オフコース、浜田省吾ら枚挙にいとまがなく、幅広い交友関係を誇った。YMO結成前の78年1月には矢沢永吉の「時間よ止まれ」のレコーディングにも参加。竹中直人とはシュールなコントにも挑戦し「笑い」もこよなく愛した。こまやかな気遣いもできる性格で、女性にもよくモテたという。

 一方、20代後半からはファッションデザイナーとしても活躍。自身のブティックも都内で2店展開していた。高所恐怖症のため飛行機が苦手で、海外ツアーの移動にはいつも頭を抱えていたという。釣りが趣味で、イシダイ釣りのキャリアは40年以上、フライフィッシングは20年以上。同好会「東京鶴亀フィッシングクラブ」の会長も務めていた。

続きを表示

この記事のフォト

2023年1月15日のニュース