米朝さんを悼む 文枝「生涯忘れない」仁鶴「教えていただいた師匠」

[ 2015年3月20日 05:30 ]

2010年4月、「第1回上方落語まつりinミナミ」で桂三枝(現文枝)との掛け合いで観客を笑わせる桂米朝さん

 上方落語の大御所、桂米朝さんが19日午後7時41分、肺炎のため死去。落語界やゆかりの深かった関西では悲しみの声が広がった。

 ▼桂文枝(上方落語協会会長) 米朝師匠の訃報に接し、いま言葉が見つかりません。入門してからずっとお世話になりました。師匠に教えていただいた「二人癖」をはじめ、いろんなネタ、思い出がありすぎて整理がつきません。繁昌亭(上方唯一の落語の定席)に書いていただいた「楽」の文字。私自身も「初心忘れず」の言葉をはじめ、たくさんの色紙を頂きました。

 60歳になった時に「師匠、還暦になりました」と言いましたら、「噺家としたら、これからやがな、頑張らんと」と、おっしゃっていただいたから協会会長として今日まで頑張ってこられたと思います。協会会館に車いすで見に来ていただいたこと、談志師匠と和解の宴に出ていただいたこと、最後にお会いした日、生涯忘れることはありません。

 ▼柳家小三治(人間国宝の落語家)心からお悼み申し上げます。残念です。今までありがとうございました。

 ▼笑福亭仁鶴(落語家) 噺のネタをいくつか教えていただいて、稽古をつけていただいて、落語のことをいろいろと教えていただいた師匠です。誠に残念です。ご冥福をお祈りいたします。

 ▼桂福団治(上方落語協会理事)消滅しかかった古典作品を発掘し、現代人に分かりやすく伝えた人で、昭和の上方落語において中興の祖だった。私が手話落語を始めたとき周囲から反対されたが、米朝師匠がただ一人賛同して「おい、手話落語できへんか」と他の落語家に声を掛けてくれた。人間的にも大人物で、私のようなよその門下の者もかわいがってくれた。

 ▼梅原猛氏(哲学者) 上方落語がこれだけ盛んになったのは、ひとえに米朝さんの力によるものです。関西文化の奥深いところを担っていた彼を、ひそかに尊敬していました。

 ▼矢野誠一氏(演劇・演芸評論家)僕にとって上方文化の先生でした。新幹線やテレビの影響で東西の文化が均質化し、それぞれの独自色が希薄になりつつあった時代の中、落語に限らず上方の風俗の良さを東京、そして全国にしっかりと伝えたのが米朝さんだった。

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2015年3月20日のニュース