仁鶴 米朝さんしのぶ「影響を受けていない噺家は一人もいない」

[ 2015年3月20日 14:10 ]

朝日放送での番組収録後に同局で会見して桂米朝さんとの思い出を語った、落語家の笑福亭仁鶴

 落語家の笑福亭仁鶴(78)が20日、大阪市内で会見し、19日に亡くなった人間国宝で上方落語家の桂米朝さん(享年89)の思い出を語った。

 沈痛な面持ちで会見に臨んだ仁鶴は開口一番、「もう大ショックです」と声を絞り出した。「稽古もたくさんつけていただきましたし、ゆうべは寝られませんでした」。昨夜の「うとうとしていた時」の訃報で目が覚め、「稽古の時の様子であるとか、落語会に行ってはる時の姿とかが浮かんできて」夜を明かしたという。

 米朝さんは衰退の一途をたどっていた戦後の上方落語界を隆盛に導いた。仁鶴も「上方落語が全国的に広まって行くにはこういうやり方の方がええんと違うやろか、と東京で先鞭を付けてもらった。そのおかげで我々が全国を回れるようになったわけですね」と感謝した。後継者の養成活動にも触れ、「米朝師匠の影響を受けていない中堅から上の噺(はなし)家は一人もいないと思うんです」とも続けた。

 仁鶴は若くして、テレビなどのメディアでブレークした。そんな若手落語家を、米朝さんは「そういうのが一人や二人はおって、お客さんの目を引いて、噺家や落語家というのがお客さんに分かる」と温かく見守ってくれた、と仁鶴は推測した。また、米朝さんの読み筋通り、「今まで落語会に来ていただけなかった若い男女のお客さん方もねぇ、ボチボチ来てくださいました」と振り返った。

 米朝さんとの最後の会話は、「もう忘れるぐらい、前ですわ。最近はお会いする機会がなかったですからね」と明かした。それでも、上方落語界と自身が受けた恩義は心に刻みつけられている。「上方落語に対して、大貢献していたいた。まあ、国の宝ですね」。尊敬の念をも込めたコメントて、会見を締めくくった。

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2015年3月20日のニュース