米朝さん近隣の人々、名人芸惜しむ 自宅前では手合わせる姿も

[ 2015年3月20日 10:52 ]

亡くなった桂米朝さんの自宅前で手を合わせる男性=20日早朝、兵庫県尼崎市

 亡くなった桂米朝さんが暮らした兵庫県尼崎市の自宅前では20日朝、近隣の人々から名人芸を惜しむ声が上がった。「もう一度聞きたかった」。行き交う住民らが足を止め、手を合わせる姿も。前日に最期をみとった息子たちは「お疲れさま、と言ってあげたい」と悼んだ。

 付近は古くからの住民が多く住む地域。家は早朝から明かりがついていたが、出入りは少なく、雨戸が閉められ中の様子はうかがえなかった。

 自宅を訪れた自治会長の橋本勝太郎さん(75)は「道で会うと話し掛けてくれる気さくな人だった。元気なころの落語をもう一度聞きたかった。多くの弟子を育てられたので、役目を尽くされたと思うけど、寂しいです」と話した。訃報に触れ、様子を見に来たという近所の自営業高橋豊さん(47)は「尼崎が誇るスーパースターだった。心に穴が開いてしまったようだ。ただただ悲しい」と言葉を詰まらせた。

 自宅前で取材に応じた米朝さんの次男で公務員中川透さん(54)によると、米朝さんの遺体が自宅に戻ったのは19日夜。一門の弟子たちが次々と弔問に訪れた。自然と思い出話になり、わいわいと笑い声も。誰とはなしに「これまでいろんな人を笑わせてきた。落語界を引っ張ってきた人だった」と悼んだ。

 20日午前10時半すぎ、遺体が自宅を出て葬儀業者の車に乗せられ、濃い色のスーツに身を包んだ透さんと、双子の弟で公務員の渉さん(54)が見送った。透さんは「小さい頃、存在が大きくて遠くにいるように感じていた。最期は安らかな表情だった。今は『ご苦労さん。ありがとう』と声を掛けたい」と話した。

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2015年3月20日のニュース