桂米朝さん逝く 上方落語再興 一門約70人、多くの弟子育て…

[ 2015年3月20日 05:30 ]

死去した桂米朝さん

 人間国宝で上方落語家の桂米朝(かつら・べいちょう、本名中川清=なかがわ・きよし)さんが19日午後7時41分、肺炎のため死去した。89歳。旧満州出身。米朝さんは戦後、存続の危機にあった上方落語界でリーダーとして活躍。埋もれた落語の復活や、2代目桂枝雀さんをはじめとする後進の育成に尽力した。近年は病気療養中で入退院を繰り返していた。

 衰退していた上方落語界を復活させた人間国宝が亡くなった。近年は入退院を繰り返していたが、関係者によると、体調を崩したのは3日前。所属事務所の今井浩社長によると、最期は長男で落語家の桂米団治(56)がみとったという。

 米朝さんが公の場へ姿を見せたのは2014年6月28日、88歳で亡くなった妻絹子さんの葬儀が最後だった。葬儀は兵庫県尼崎市で営まれ、車いすで出席していた。

 09年3月、脳梗塞で倒れて入院して以降、復帰とリタイアを繰り返した。同年7月は脳幹梗塞と診断された。12年8月には自宅で転倒し、腰椎を骨折した。9月に退院後、ラジオ番組の収録などに取り組み13年1月2日、大阪市内で開かれた「米朝一門会」では満員の客席に「いっぱい来ていただきまして、それだけで胸がいっぱいです」などとあいさつした。

 兵庫県姫路市で育った米朝さんは、落語好きの父に連れられ、幼少期から片道2時間かけて大阪の寄席へ通った。戦後、姫路で落語会を開こうと奔走するうちに自身も高座に上がりたいと志し、47年、友人で3代目桂米之助の入門にも刺激を受け、4代目桂米団治の門を叩いた。

 当時の大阪は落語家が10数人。作家の谷崎潤一郎が「上方落語は滅んだ」と嘆く惨状に再興を決意した。6代目笑福亭松鶴、5代目桂文枝、3代目桂春団治との4人で「上方落語四天王」と人気を博した。

 滅んだ古典落語の復活にも力を注いだ。サゲを変えたり、展開を再構成することで現代風にアレンジ。その一つが1時間を超える大ネタ「地獄八景亡者戯」だ。神戸ポートアイランド博覧会があった81年、その初日にポートライナーが故障。噺(はなし)に出る三途(さんず)の川に地獄ライナーを登場させ、その故障で亡者があふれ返っている、と時事ネタを取り入れると東京の落語家も演じ始めた。

 後進の育成も功績から外せない。月亭可朝、2代目枝雀さん、2代目ざこばら一門の弟子、約70人を育てた。一門には玄孫(やしゃご)弟子も誕生した。74年には米朝事務所を立ち上げ、弟子らの活動拠点とした。その高座は気品ある容姿と豊富な知識を背景にした分かりやすい語り口、的確な演出で定評があった。

 20日午前に大阪市内で米団治、弟子の桂ざこば(67)、所属事務所の田中秀武会長が会見する。

 桂 米朝(かつら・べいちょう=本名中川清、なかがわ・きよし) 1925年(大14)11月6日、旧満州大連市生まれ、兵庫県姫路市出身。滅びかけていた上方落語の噺を継承、文献などから発掘するなど復興に尽力。その功績から「上方落語中興の祖」と呼ばれる。1996年に落語界から2人目の人間国宝に認定され、2002年に文化功労者顕彰。2009年に演芸界初の文化勲章受章。

続きを表示

この記事のフォト

2015年3月20日のニュース