阪神・青柳、原点回帰の背番号「17」でセ界初の3年連続最多勝へ「17番で頑張りたい」

[ 2022年12月6日 05:15 ]

背番号17を受け継ぐ青柳晃洋(左)と、託す岩貞祐太

 阪神は5日、青柳晃洋投手(28)が来季から背番号を「17」に変更すると発表した。入団時から7年間背負ってきた「50」に愛着を感じつつも、野球を始めた小学5年時に初めてつけた原点回帰の番号で、新たな戦いに挑む。プロ野球史上4人目、セ・リーグでは初となる3年連続最多勝のタイトルを狙う来季。装いも新たに、歴史をつくって見せる。

 熟考の末に“装い”を改めることを決断した。青柳は、新たな背番号となる「17」への思いを言葉に乗せた。
 
「僕が野球を始めた小学5年生の時に初めて付けた番号ですし、大学4年間付けていた番号。『50』にも愛着あったんですけど、阪神にいる間に付けるとしたら今のタイミングしかないと思った」

 小学5年時に入団した「寺尾ドルフィンズ」で初めて背負ったのが「17」だった。6年に上がって違う番号になったが、縁があったのだろう。帝京大でも再び「17」を付けて4年間、腕を振った。野球との出合い、そして夢のプロ入りも見届けてくれた、切っても切り離せないラッキーナンバー。「野球を始めた時の最初の番号で、プロだったら本当に良い番号。僕みたいにドラフト下位で入った選手が付ける可能性も低い番号なので。提案してくれた球団にも感謝ですし頑張らないといけない気持ちになる」と決意を新たにした。

 今季まで「17」を付けていた岩貞がFA宣言せずに残留を決めて「14」に変更になった直後、青柳に打診があった。入団時から背負い、“代名詞”でもあった「50」にも愛着がある。悩んだが、“前任”の先輩左腕にも背中を押された。「(岩貞に)悩んでいる、と言ったら“付けろや”と」。実は昨オフも違う番号で変更のオファーがあったが、「変えるなら17番しかない」と断った。複数のタイミングも重なって、再び背中に戻ってきた。

 まさに、原点回帰――。心機一転で臨む来季は、正真正銘のエースとして新たな歴史をつくる。今季まで2年連続で最多勝のタイトルを獲得。3年連続となればプロ野球史上4人目、セ・リーグでは初の快挙となる。かねて掲げる目標の15勝から背番号にちなんだ17勝への上方修正には「そんな簡単に言わないでください」と笑い飛ばすも、「勝つに越したことはない」とすぐに表情を引き締めた。

 何より、尊敬する先輩から引き継ぐ大きな“背中”だ。「人として近づけるように。岩貞さんみたいな後輩思いな先輩になれるように。そこを目指して17番で頑張りたい」。さまざまな面でスケールアップを促す、17番での再出発になる。 (遠藤 礼)

 《パでは過去2人記録》
 プロ野球で3年(季)連続最多勝は、1リーグ時代に巨人・スタルヒンが1937年秋、38年春秋、39、40年(5季連続)、パ・リーグで近鉄・野茂英雄が90~93年(4年連続)、西武・松坂大輔が99~2001年(3年連続)に達成。来季は山本(オ)と青柳(神)に挑戦の資格があり、青柳が達成ならセ・リーグでは初めてになる。

 ▽主な「17」名投手 阪急の山田久志は入団2年目の70年に10勝を挙げ、3年目に背番号25から17に。75年から12年連続で開幕投手を務め、アンダースローとしてはプロ野球最多の284勝をマークした。ヤクルトの松岡弘は67年ドラフト5位で前身のサンケイに入団し、69年から17番。78年は16勝でリーグVと日本一に貢献。通算191勝で、引退後はエースナンバーとして川崎憲次郎らに引き継がれた。巨人の槙原寛己は入団6年目の87年に54番から変更。94年5月18日の広島戦では平成唯一の完全試合を達成するなど通算159勝を挙げた。

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