阪神ドラ5・戸井 虎党の祖父に触発され空手少年から野球少年へ

[ 2022年12月6日 05:15 ]

阪神新人連載「七人のトラ侍」 ドラ5、天理・戸井(上)

野球より先に夢中になったのは極真空手だった戸井(提供写真)
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 阪神からドラフト5位指名を受けた天理・戸井零士は、もしかしたら武道家の道を歩んでいたかもしれない。幼少期、野球よりも先に熱中した競技があった。極真空手だ。

 4歳の時だった。商業施設で実施していた空手教室で、子どもたちが組手をしている姿に興味を持ったことがきっかけだった。母・夕子さんに「かっこいいから、やりたい」と頼みこみ、近所の空研塾西田道場に週2日のペースで通い始めた。

 「K―1の試合などもテレビで見ていて、戦う姿がかっこいいと思い、空手を始めた」

 だが…。思わぬ問題が発生した。極真空手では突きや蹴りといった直接打撃を伴うが、戸井家には「人に手を出したり、蹴ったりしたらいけない」という教えがあった。当然、道場内では打撃を許されていたが、その教えが頭にこびりついており、当初は組手練習でまったく相手に攻撃できず。試合に出場しても初戦敗戦が続いた。それでも学年が上がるにつれて打撃を与えることにも慣れていき、小学5年時には全国大会初出場で8強。段級位も最上位の黒帯に次ぐ茶帯を取得した。だが一方で胸中に「やり切った」という満足感もわきおこった。この思いが、野球専念へのターニングポイントになった。

 野球との出合いは、空手から遅れること3年。小学1年の時だった。きっかけは祖父・英男さんと京セラドーム大阪で観戦したオリックス―日本ハム戦。日本ハムのダルビッシュ有(現パドレス)の投球に魅了された。近所に住んでいた祖父は大の虎党で、学校から帰宅すると一緒に阪神戦をテレビ観戦するのが日課となった。そんな日々を過ごす中で、自然と零士も虎党に。当時の主軸である新井貴浩やマートンの打撃フォームをマネするなど、のめりこんでいった。英男さん相手に、プラスチックバットと新聞紙を丸めたボールで、キャッチボールやノックを楽しんだ。

 「毎日のように、おじいちゃんと野球をして遊んでもらった。クラブチームで野球を始める時にも、バットをプレゼントしてもらって、本当に小さい頃から“おじいちゃん子”でした」

 小学2年からは空手と並行して、軟式野球チームのポルテベースボールクラブで本格的に野球を始めた。5年に上がると、さらに求めるレベルが高くなり「硬式でやりたい」と松原ボーイズ入団。日を追うごとに、野球の魅力に取りつかれていった。「気づいたら空手より野球のほうが楽しくなっていた」。そして小学校卒業と同時に空手道場を辞した。空手少年は、いつの間にか野球少年へと変貌(ぼう)を遂げ、その才能を開花させていった。 (長谷川 凡記)

 ◇戸井 零士(とい・れいじ)2005年(平17)1月18日生まれ、大阪府松原市出身の17歳。市立中央小時代から松原ボーイズに所属。松原第三中1年時に侍ジャパンU―12の一員としてW杯に出場し首位打者を獲得。天理では1年秋からベンチ入り。高校通算13本塁打。1メートル81、83キロ。右投げ右打ち。

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