野球賭博問題“語り部”育てることが再発防止への第一歩

[ 2015年10月27日 10:30 ]

 私は小学校5年生だった。野球が好きな級友2人に連れられて足を運んでいたのが小倉球場(現・北九州市民球場)。バックスクリーンの後ろにあった売店で1杯40円のうどんを3人で分け合っていた。自分たちで「特等席」と呼んでいた左翼席最上段の古びた座席は木製。目の前では一升瓶を抱えた酔客が野球には目もくれず、顔を赤らめて夜空を見上げていた。

 1969年9月。私たちはその後「黒い霧」に巻き込まれてやがて永久追放となる投手の1人をこの球場で見ていた。投げ方がとてもしなやかで、そのフォームをマネをしては「特等席」で騒いでいた。

 子供ながらに、なぜ厳罰が科せられたのかは理解できた。せっかく小遣いを貯めて観戦にやってきたのに、グラウンドには金に目がくらんで真剣にプレーしていない選手がいる…。フォームをマネしたことがなんとなく恥ずかしくなった。そして3人で西鉄ライオンズの試合を見たのはそれが最後になった。

 あれから46年がたった。プロ野球界は野球賭博問題で揺れ動いている。八百長はなかったとされているが、野球賭博常習者との交際は黒い霧事件の構図と何ら変わらない。なによりプロのスポーツ選手なのにギャンブルに興じている姿には違和感を覚える。子供たちにとって絶対的ヒーローだった時代は終わっているが、それでも声援を送ったファンにとっては裏切られた思いがあるだろう。

 疑問がひとつ残っている。昭和の時代の“汚点”を今のプロ野球関係者はどのように選手に伝えてきたのだろうか?日本人は戦争という悲惨な出来事から立ち直って現在を生き抜いている。戦争という過ちを世代を超えて伝えてきたからこそ、道を踏み外さなかった。

 「伝える」ということは「投げる」「打つ」「走る」と同様に、プロ野球界では必要不可欠の基本だ。賭博を行った当事者と球団の管理責任を問うだけでは、この問題は解決しない。“語り部”を育てることが再発防止への第一歩。半世紀先にも目線を向けてほしい。(高柳 昌弥)

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2015年10月27日のニュース