【カーリング】フォルティウス初五輪!吉村は涙、5度目の挑戦でついに「諦めないでよかった」

[ 2025年12月12日 05:30 ]

カーリング ミラノ・コルティナ五輪最終予選第6日   日本6-5ノルウェー ( 2025年12月10日    カナダ・ケロウナ )

ノルウェーを破って8大会連続の五輪出場権を獲得し、歓喜する日本代表フォルティウスの(左から)小林、小谷、吉村、近江谷、小野寺(共同)
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 女子のプレーオフが行われ、日本代表のフォルティウスが6―5でノルウェーを下し、ミラノ・コルティナ五輪出場を決めた。日本女子は8大会連続の五輪出場。スキップの吉村紗也香(33)にとっては、北海道・常呂高3年だった10年バンクーバー大会から5度目の挑戦でつかんだ涙の五輪切符になった。チーム存続の危機を乗り越えてたどり着いた悲願の舞台で、日本カーリング史上初の金メダルを目指す。

 やっと、たどり着いた。悲願の五輪出場が決まると、吉村はメンバー一人一人と抱き合い、泣いた。高校生だった09年から5度目の挑戦。「私も五輪の舞台でプレーできる」。母になった33歳の言葉に万感の思いがこもった。

 「物凄くうれしい。諦めないでよかった。つらい時期を乗り越えた絆がある。このチームが誇り」

 息詰まる接戦を制した。ノルウェーは前日の1次リーグ最終戦で今大会初黒星を喫した相手。同点で有利な後攻の最終第10エンドへと持ち込んだ。セカンド小谷とサード小野寺が相手のガードを破壊し、仲間がつないだ思いを胸に投じた吉村の1投目がNo・1に。そこから相手のミスを誘い、決勝点をもぎとった。

 北海道北見市出身。ジュニア時代から将来を嘱望された存在だったが、五輪の舞台は遠かった。ロコ・ソラーレが銅メダルを獲得した18年平昌大会は現地で観戦し、悔しさに震えた。22年北京大会も代表決定戦でライバルに屈し、またも涙をのんだ。

 その後、北海道銀行との契約が終了し、チームは存続が危ぶまれる状況に陥った。それでも貯金を取り崩し、クラウドファンディングを募り、歩みを止めなかった。「いつか笑える日が来る」。そんな姿に引かれるように、スポンサーが一つ、また一つと増えていった。支えてくれた人たちへの感謝が、何よりのモチベーションになった。

 23年12月には第1子となる長男を出産。助言を受けたのが元祖カーママこと船山弓枝コーチ(47)だった。出産以前に戻すのではなく「新たな自分をつくり出す」ことに着眼点を置いてトレーニングに励んだ。現在は遠征で家を離れることも多い。拠点に戻れば、日中は練習や所属先の社会医療法人柏葉会で仕事をし、愛息を保育園に迎えに行き、帰宅後はご飯作り。ハードな日常にも「カーリングと育児の時間とメリハリをつけて生活できていて、競技に生きている」と優しく笑う。母になった経験は、吉村をひと回り大きく成長させた。

 会場のあるコルティナの方角を意識して、全員で弓矢を射るポーズで喜んだ。「目標の金メダルに向けて準備していく。一段と強くなった姿を見せる」。追い続けた五輪の氷上で、その夢を実現させる。

 《吉村の過去の五輪挑戦》
 ☆10年バンクーバー大会(北海道・常呂高)09年11月の五輪代表決定戦の第1ラウンドでチーム長野に1勝2敗で敗退。
 ☆14年ソチ大会(札幌国際大)13年9月の五輪最終予選代表決定戦1次リーグ2勝4敗の4位で敗退。
 ☆18年平昌大会(北海道銀行)17年2月の日本選手権準決勝で中部電力に敗れる。前年の日本選手権も優勝を逃しており、五輪代表選考会に進めず。
 ☆22年北京大会(北海道銀行)21年2月の日本選手権を制し、同年4、5月の五輪出場枠を懸けた世界選手権に出場したが、5勝8敗の11位で枠を獲れず。同年9月の五輪最終予選代表選考会ではロコ・ソラーレに2連勝後、3連敗で屈する。
 ※( )内は当時の所属チーム

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