【新大関琴ノ若 親子三代の夢(上)】「おじいちゃんのしこ名継ぐ」9歳の覚悟

[ 2024年1月29日 04:35 ]

大相撲初場所千秋楽 ( 2024年1月28日    東京・両国国技館 )

生後8カ月で化粧まわしを締めて父と一緒に土俵入り。右は先代師匠の元横綱・琴桜(佐渡ケ嶽部屋提供)
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 97年11月19日、誕生と同時に琴ノ若の相撲人生は始まった。その日は九州場所11日目。先代「琴の若」は幕内の取組に敗れて部屋に戻った後、義父の先代・佐渡ケ嶽親方に長男の誕生を報告した。すると先代は部屋の玄関で「バンザーイ!」と叫んで大喜び。待望の初孫につけられた名前は「将且」。先代のしこ名「琴桜 傑将(まさかつ)」と同じ読みだった。

 “初土俵”は生後8カ月。父の地元・山形で開催された巡業で、小さい化粧まわしを締めて「赤ちゃん抱っこ土俵入り」に参加した。物心つく前から自然と相撲好きに。テレビの前で父を応援したり、母が運転する車のチャイルドシートに乗って国技館まで迎えに行ったりもした。3歳になると、部屋の土俵を使って父と遊びながら“稽古”。相撲界の厳しさを知る父と祖父は「本人に任せていた」と決して強制しなかったが、将且少年は自ら望んで相撲にのめり込んでいった。

 祖父には特にかわいがってもらった。幼少の頃、2人で近所の銭湯へ行ったり旅行に行ったりもした。稽古場で隣に座って見学することも。鬼のように厳しかった先代親方がその時ばかりは笑顔になっていたため、当時の力士たちは「今日は将且来ないかな?来たら優しくなるのに」とよく言っていたという。

 そんな大好きな祖父が亡くなったのは07年8月。「気付いたら涙が出ていた。どういう気持ちなのかも分からなかった」。悲しみの中に、一つの大きな決意が芽生えた。「力士になって、おじいちゃんのしこ名を継ぐ」。人生の大きな覚悟を決めたのは、9歳の時だった。(特別取材班)

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