優勝しても泣いていた…やり投げ・北口榛花の向上心 恩師も驚く「一般人の枠をはるかに超えています」

[ 2022年8月17日 11:00 ]

15年の日本陸連アスレチック・アワードで記念撮影をするサニブラウンと北口。後方は旭川東高で北口を指導した松橋昌巳さん

 【オリンピアンロードの歩き方】五輪を目指すアスリートや関係者らを取り上げるコラムの今回は、陸上の女子やり投げで世界選手権銅メダルの北口榛花(24=JAL)。旭川東高時代の恩師である松橋昌巳さん(67)に、世界で活躍する選手になるまでの過程などを聞いた。

 高校からやり投げを始めた北口にとって、旭川東高の陸上部顧問だった松橋さんは道を開いてくれた存在といえる。ただ、そのきっかけとなったのは、中学で所属していたバドミントン部の1学年先輩だった森菜々穂さん。同高で陸上部マネジャーを務めていた森さんが「こんな子が入ってきます」と松橋さんに紹介したことから、入学後の勧誘に至った。

 「あの子(森さん)がいなかったら、北口は陸上をやらなかったかもしれない。でも、声はかけたけど、彼女は水泳をやりたかった。目標がある人間はなかなか引っ張り込めない。極端に言えば、ダメもとでした」

 幼少期から水泳やバドミントンに打ち込み、高校では水泳に専念する予定だった。ただ、一つ救いだったのは、北口はクラブチームで泳いでいたこと。学校の部活と両立が可能で、最終的に「両方やってもいいなら…」という結論になった。

 4月の北海道はまだ雪が残っており、やり投げの本格的な練習を始めたのはゴールデンウイーク前後。しかも、練習時間は水泳と半々だった。そんな選手が6月の道大会で大会記録を上回る45メートルを投げて優勝したから、誰もが驚いた。

 その年の秋に陸上一本に絞り、3年時には全国高校総体、国体、日本ユースを制して3冠達成。サニブラウンらと出場した世界ユース選手権(コロンビア)でも優勝した。計り知れない才能と努力のたまものながら、松橋さんは意志の強さも飛躍の理由に挙げる。

 「練習を一生懸命やるし、週に1回は治療院に行ってケアもしていた。3年の総体で優勝したけど、大会記録を出せなかったから、表彰式の後に泣いていた。競技に懸ける思いや向上心は、一般人の枠をはるかに超えています」

 今年6月、松橋さんは「北口は“ここまで頑張ってくれれば…”と自分が思う上をいつも行くんですよ」と言っていた。その後の世界選手権で表彰台に上がり、8月には世界最高峰のダイヤモンドリーグでファイナル進出を決めた。恩師の想像を超える活躍が、日本の陸上界を盛り上げていく。

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2022年8月17日のニュース