谷真海「次はパラの番」スポーツの力を五輪から受け継ぐ 招致スピーチから8年、結団式で再び

[ 2021年8月18日 05:30 ]

東京パラリンピック結団式 ( 2021年8月17日 )

記者会見を終え、ガッツポーズする(左から)河合団長、ゴールボールの浦田、車いすテニスの国枝、卓球の岩渕、トライアスロンの谷(撮影・木村 揚輔)
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 24日に開幕する東京パラリンピックの結団式が17日に都内で行われ、トライアスロン女子代表で旗手を務める谷真海(39=サントリー)が決意を表明した。陸上走り幅跳びから転向し、トライアスロンでは初出場となる4度目の大舞台。13年秋のIOC総会で東京大会招致に貢献した立場として、五輪から引き継いだ「スポーツの力」を示す。無観客開催が決まった中、日本選手団は04年アテネ大会を超える史上最多の255人となった。

 「パワー・オブ・スポーツ」の価値を訴え、招致に尽力したスピーチから8年。日の丸が入ったウエアに身を包んだ谷は、開幕が迫った中で同じ言葉を力強く口にした。「スポーツの力。この言葉は逆風の中で価値を見失いそうになることもありました。しかし五輪でその力を証明していただき、次は私たちパラリンピアンが受け継ぐ番です」

 旧姓の佐藤で登壇した招致当時は、20年大会の自分をイメージできなかった。翌年に結婚し、15年には第1子となる長男の海杜(かいと)君を出産。16年には年齢も考え、陸上からトライアスロンに転向。家族との時間を犠牲にしてきただけに、大会延期には葛藤もあった。それでも「途中で終わらせたくない」という一心で東京を目指し続けた。

 パラアスリートの「困難にあっても踏み出す力」を示してきた。自身のクラス「PTS4(運動機能障がい)」は競技人口が少なく、18年には実施種目からの除外が決定。谷は「これから目指す選手のために」と、国際パラリンピック委員会とワールドトライアスロン会長に代替案や思いをつづった手紙を送った。最終的に障がいのより軽いクラスと統合されたため、道はより険しいものになったが、逆境を乗り越えた切符に「挑戦の道がようやく最終コーナーに来た」と笑った。

 東日本大震災で被害を受けた宮城県気仙沼市出身。谷にとっては復興とともに、コロナ下で新たな価値を持つ大会となる。「パラ選手の姿には生きる中で大事なヒントが詰まっている。少しでも多くの方に伝わるように頑張りたい」。思いは、レースで体現する。

 ◆谷 真海(たに・まみ)旧姓・佐藤。1982年(昭57)3月12日生まれ、宮城県気仙沼市出身の39歳。仙台育英―早大。サントリー所属。中学で陸上を始めた。大学でチアリーダーとして活動していた01年に骨肉腫を発症。02年4月に右足の膝下を切断し、義足生活に。翌年からパラ陸上の走り幅跳びに挑戦し、04年アテネから3大会連続出場。結婚と出産を経て、16年にトライアスロンへ転向した。

 ▽招致スピーチVTR 13年9月7日、佐藤(旧姓)真海として出席したブエノスアイレスでのIOC総会で約4分間、スピーチした。19歳の時に骨肉腫で右足の膝下を失ったこと、故郷が東日本大震災で被災した経験を感情たっぷりに表現。スポーツを「新たな夢と笑顔を育む力」などと伝え、招致成功に貢献した。

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