堅樹よ、信頼される医者になれ 恩師・森重隆会長が第二の人生にエール

[ 2021年5月24日 05:30 ]

福岡堅樹引退

現役を引退する教え子の福岡にエールを送った日本ラグビー協会の森重隆会長
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 堅樹よ、信頼される医者になれ――。福岡が福岡高在学中にラグビー部監督を務めていた日本ラグビー協会の森重隆会長(69)がスポーツニッポンに手記を寄せ、現役を退く愛弟子へ、第二の人生へのエールを送った。

 堅樹よ、現役生活お疲れさん。28歳、まだまだやれる。ラグビー協会の会長としては、こんなスピードスターにはもっと現役を続けてほしいと思う。人生は長いし、医者にはもう少し後からでもなれるだろう。それでも意志を曲げず、スパッと辞めるんだからさ。俺は30歳の時に引退したけど、当時を思い出すと“あー辞められる。こんなにキツい練習から逃れられる。仕事の後に2時間も練習せずに済む”という気持ちだったからね。引退後のことなんて、考えもしなかった。だから凄いよね。

 監督の時、スカウトなんてことは一切やってなかったが、玄海スクールに凄い中学生がいるとは聞いていた。実際に入学してきて、それでも“俺よりは速くないだろう”と思っていたら、めちゃくちゃ速かった(笑い)。4月に入学して、すぐにレギュラー。線は細かったけど、とにかくスピードは突出していた。高2の時の長崎での夏合宿だったか、練習試合をした御所実の竹田先生(寛行監督)が「アイツ、何なんですか?」と驚いていた。ほんの数メートルのスペースで、2、3人をバババっと抜いたからね。凄い先生から見ても、突出した選手だった。

 高3の夏に右膝の前十字靱帯を切って、正直、花園は厳しいと思った。ただ、その時も本人の意志は固くて、“保存治療しながら試合に出ます”と。普通の監督なら本人の将来を考えるけど、俺は勝ちたいから“おお、そうか。自分で決めたなら頑張れ”であっさりOK(笑い)。ぐるぐるにテーピングして、花園1回戦ではサヨナラトライ(終了直前に逆転となる認定トライを導くプレー)。大阪朝高との2回戦は、さすがに見ていられないくらいの状態で途中で代えた。でも本当に、自分で決めたことをやり抜く意志の強さは当時からあったよね。

 それでも正直に言えば、ジャパン(日本代表)になれるとは思わなかった。やっぱり線が細かったから。今でもそんなに大きくないが、努力して体を作ったのだと思う。体幹も強いしね。19年のW杯も、凄かったもんね。15年のW杯から一番飛躍的に伸びたのは、堅樹だったと思う。

 大学(筑波大)やジャパンでも、仲間に恵まれたラグビー人生だったと思う。医者として、人として、これからも信頼される人間であってほしい。(日本ラグビー協会会長)

 ◇森 重隆(もり・しげたか)1951年(昭26)11月6日生まれ、福岡県出身の69歳。福岡高からラグビーを始め、明大―新日鉄釜石。釜石では主将を務め、日本選手権4連覇目まで現役。日本代表では通算27キャップ。福岡高監督、九州協会会長などを歴任し、19年6月から日本協会会長。現役時代のポジションは主にCTB。

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2021年5月24日のニュース