五輪とパラリンピックの統合を妨げる肥大化という過ち

[ 2016年9月15日 09:16 ]

 【藤山健二の独立独歩】リオデジャネイロ・パラリンピックでは連日熱戦が続いているが、残念ながら会場の観客席には空席が目立つ。日本のメディアの報道も五輪の時とは比べものにならないほど縮小され、盛り上がりはもう一つだ。

 そんな中、ネット上などでは五輪とパラリンピックの「同一開催」や「開催時期の入れ替え」を求める声が増えているが、20年東京五輪・パラリンピック組織委員会はこれを全面否定するコメントを発表した。詳細は組織委のホームページを参照願いたいが、要約すると「同一開催」は「両者を統合すると大会の規模が大きくなりすぎて対応できない」から不可能、そして「開催時期の入れ替え」も「東京大会はすでに決められた日程に基づいて会場や宿舎の調整が進んでいるので変更は無理」ということになる。それなら一部の競技や種目だけでも一緒に開催したらどうかという折衷案に対しても「陸上や水泳は種目数がこれ以上増えると期間内にすべてを実施することができなくなる」し、「パラリンピック選手団の分断を招く」のでやはり不可能と結論付けている。

 この組織委の回答自体はまったくその通りで、少なくとも次の東京大会で五輪とパラリンピックを同時に開催したり、先にパラリンピックを開催することは物理的に不可能だ。準備期間があまりにも短すぎるし、まったく別の組織として行動してきた国際オリンピック委員会(IOC)と国際パラリンピック委員会(IPC)がそれまでに統合することも100%ありえない。

 だが、東京後となれば話が違う。ゆくゆくは五輪とパラリンピックは統合されるべきだ。いや、統合されなければならない。パラリンピックはもともと第2次大戦の負傷兵のリハビリのために始まったもので、五輪とは成立過程も目的もまったく異なる。だが、今行われているパラリンピックは当時とは完全に様変わりし、五輪と同じ価値観の下で選手たちは同じように努力をしている。そもそも健常者と障がい者を区別すること自体がおかしいのであって、本来パラリンピックは一つの競技の中の一つの種目としてとらえられるべきだろう。

 両者を統合すると規模が大きくなりすぎるというが、すでに五輪は一都市の能力を超えた異常な規模にまで肥大化している。それにもかかわらず開催国枠でさらに追加種目を加えようというIOCの方針には疑問を感じざるをえない。むしろ五輪は種目を減らして規模を縮小すべきであり、そうすればパラリンピックとの統合も決して不可能ではないはずだ。

 今すぐにとは言わない。だが、健常者も障がい者もない真の「共生社会」実現のためには、五輪とパラリンピックの統合は避けては通れない道のはずだ。(編集委員)

 ◆藤山 健二(ふじやま・けんじ)1960年、埼玉県生まれ。早大卒。スポーツ記者歴34年。五輪取材は夏冬合わせて7度、世界陸上やゴルフのマスターズ、全英オープンなど、ほとんどの競技を網羅。ミステリー大好きで、趣味が高じて「富士山の身代金」(95年刊)など自分で執筆も。

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