「全日本」使い続けるバレーボール ライバルはサッカーだった!?

[ 2016年6月15日 08:11 ]

リオ五輪出場を決め笑顔の“全日本女子”

 バレーボールの五輪最終予選がたけなわのころ、高校時代の友人からフェースブック経由で突然メッセージが届いた。

 「なぜバレーだけ全日本って言うんだ?日本代表ではいけないのか?」

 全くもってごもっとも。「いい質問ですね~」と、なんだか池上彰さんになった気分だ。現在、進学塾の塾長を務めているその友人は、筆者がかつてバレーボール担当だったことを知っている。おそらく塾生たちにうんちくを垂れたいのだろう。うかつなことは答えられない。

 ゼンニホン。確かにレトロな響きがある。筆者がペーペーだった30年ほど前、バレーボールの記事では常に「全日本」と表記していた。他の競技も同様だったように記憶している。大リーグが来日した際の日米野球でも、今で言う「侍ジャパン」は「全日本」だったっけ。

 潮目が変わったのは1990年代中盤のサッカーブームだ。Jリーグ誕生とドーハの悲劇が1993年。この頃から日の丸を背負うサッカーチームを「日本代表」と、スタイリッシュに呼ぶことが多くなった。どことなく閉鎖的なエリート意識と汗臭さが漂う「全日本」に比べ、「日本代表」には「オレたちみんなのチーム」という、心地よい響きがある。語感に優れたこの呼称は他の競技にも瞬く間に広まっていった。

 ところが、友人の指摘通り、バレーボールだけは違った。日本協会では現在でも「全日本」という表記を使い続けている。公式な理由は、おそらくない。だが筆者には思い当たる節が一つだけある。それは90年代当時の日本協会会長・松平康隆さんの存在だ。

 ご存じの通り、72年ミュンヘン五輪で「全日本」男子を金メダルに導いた名監督。その松平さんはバレーのライバルとして常にサッカーを挙げていた。Jリーグ出現前まではバレーの国内人気はサッカーのそれをはるかに上回っていたが、世界的に見るとその現象は悲しいほど真逆だったからだ。国際バレーボール連盟のルーベン・アコスタ会長(当時)も、サッカー熱の高いメキシコ出身とあって、全く同じ意見だった。口にこそ出さないが「打倒サッカー」はバレー関係者の合言葉となっていた。

 だからサッカー先導で流行した「日本代表」という言葉にバレーが追随するなんてとんでもない話というわけ。加えて日本の場合、サッカーに対するそこはかとない優越感も入る。何しろ日本は五輪で男女合わせ3個の金メダルを獲得しているからね、それに比べてサッカーは…。

 以上、そんなバレー界の内輪話を友人に返信した。今頃は塾生に得意顔で説明しているかもしれない。まあ根拠の薄い個人的見解なんで、塾生の皆さん、聞き流してくださいね。それにこんな話、受験勉強に役立つとはとても思えないからさ。(記者コラム・我満 晴朗)

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2016年6月15日のニュース