稀勢の里“師匠の教え”貫き、平成最短21文字口上

[ 2011年12月1日 06:00 ]

大関伝達式で口上を述べる稀勢の里(左から2人目)。右端は先代・鳴戸親方の遺影

 日本相撲協会は30日、福岡市内で大相撲初場所(来年1月8日初日、両国国技館)の番付編成会議と臨時理事会を開き、稀勢の里(25=鳴戸部屋)の大関昇進を満場一致で決めた。新大関は福岡市東区の鳴戸部屋宿舎で行われた昇進伝達式で先代師匠の教えでもある抑制の美学を貫き、シンプルな言葉で決意を表明。7日に急逝した先代鳴戸親方(元横綱・隆の里)の遺影が見守る中、平成以降ではもっとも短い21字での口上を述べた。

 真っすぐに生きる稀勢の里らしい昇進伝達式だった。午前9時13分。先代鳴戸親方の遺影が掲げられた会場で、使者の二所ノ関理事(元関脇・金剛)と湊川親方(元小結・大徹)から大関昇進の知らせが告げられると、新大関は「謹んでお受け致します。大関の名を汚さぬよう、精進します」と堂々と言い切った。枕ことばとして定番となっている「謹んでお受け致します」を抜くと文字数は21。四字熟語などで工夫し始めた平成以降では、もっとも短くてシンプルな言葉に今後の決意を込めた。

 稀勢の里は口上について「自分の今の気持ちをストレートに表現するにはシンプルなものが一番いい」と説明した。27日の千秋楽を終えてから親しい後援者らが国語学者に相談して四字熟語が入った口上を準備していたが、「自分の思いを一番伝えたいな」と断った。前日の29日に先代鳴戸親方の夫人の高谷典子さん(52)に「シンプルでもいいでしょうか」と相談。典子さんも了承した。

 実は先代鳴戸親方は生前、稀勢の里が大関昇進したときのために30~40ページにわたって“口上の案”や“相撲の心構え”を書きためていた。「(先代は)僕には大関とかは言わなかったけど、口上を考えてくれたと聞くと厳しい人ですけど本当に愛を感じた」。夫の死後に書斎で見つけたという典子夫人は「熟語入りの口上が1つだけありました」と明かした。

 天国の師匠が用意した言葉は心の中に収めた。「やるからには上を目指してやる。集中して質のある稽古をもっとしないといけない。本当に稽古場を大事にしていきたい」。スピード出世が代名詞だった大器も大関昇進は歴代5位のスロー出世。その汚名を返上するため、貴乃花引退後途絶えている日本人横綱を目指す。

 ◆稀勢の里 寛(きせのさと・ゆたか=本名・萩原寛)1986年(昭61)7月3日、茨城県牛久市生まれの25歳。茨城・長山中時代は野球部に所属し、エースで4番として活躍。鳴戸部屋に入門し、02年春場所で初土俵。17歳9カ月の新十両(04年夏場所)、18歳3カ月での新入幕(同九州場所)はいずれも貴乃花に次ぐ史上2位の若さ。10年九州場所で白鵬の連勝を63で止めた。殊勲賞5回、敢闘賞3回、技能賞1回。得意は左四つ、寄り、突き、押し。1メートル88、171キロ。

 【稀勢の里昇進メモ】

 ▽スロー出世 新入幕から所要42場所での昇進は史上5番目の遅さ。三役通過に22場所(関脇10、小結12)を要したのは、大麒麟に並んで昭和以降4番目のスロー記録。

 ▽連続新大関 秋場所後の琴奨菊に続く新大関誕生。連続昇進は、武双山、雅山、魁皇が3場所連続で昇進した00年春場所後から名古屋場所後以来。

 ▽鳴戸部屋 7日に亡くなった元横綱・隆の里の鳴戸親方が、89年2月に部屋を創設してから初。

 ▽日本人の“叩き上げ” 中卒で入門した日本人力士の大関昇進は魁皇以来。

 ▽茨城県出身 00年夏場所後の雅山以来。

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