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鈴木淳之介 夢舞台へ「楽しんで勝つ」 どん底からわずか1年でA代表へ駆け上がった転機とは…

[ 2026年5月8日 05:00 ]

【サッカー2026W杯北中米大会 最高の景色を見に行こう(6)】

色紙に決意を示した鈴木淳之介(撮影・滝本 雄大)
Photo By スポニチ

 昨年6月に国際Aマッチデビューし、着実に序列を上げてきたのがデンマーク1部コペンハーゲンに所属する日本代表DF鈴木淳之介(22)だ。センターバック(CB)からウイングバック(WB)までこなす万能型は2年前までクラブで定位置すらつかめていなかった。どん底を味わった苦悩やサッカー人生を変えた転機とは――。スポニチの単独インタビューでサクセスストーリーに迫った。(取材・構成 滝本 雄大)

 鈴木淳が大切にしている言葉は「楽しむ」だ。所属クラブでも代表活動でもその心は変わらず、胸に刻みピッチに立つ。「本当にサッカーが好きでやってるので、毎試合どんなに攻められても苦しくても楽しむことを心がけている。これまで苦しいことが多かったからこそ、まずは楽しむ。最終的に勝つことでさらに楽しくなる」

 その言葉に偽りがないのは、苦悩や挫折を乗り越えた過去が物語る。中学3年の時、高校年代の所属チームを選ぶ際に受験した岐阜U―18のセレクションで落選。それでも、もう一つの選択肢だった帝京大可児高に進学したことで道が開けた。対人の強さが開花し、2年時にボランチで定位置を奪取。和倉ユース大会で湘南スカウトの目に留まり、加入内定を勝ち取った。「岐阜の落選がなければ帝京大可児高には行ってない。自分が進んだ場所で全力を尽くしたことが今につながっている」

 それでもプロ入り後は最大の壁にぶつかった。湘南加入から3年がたってもなかなか定位置をつかむことができない。ミスを恐れるあまり、プレーがどんどん消極的になっていく。いつの間にかイップスのような不調に陥っていた。

 「ボールを受けたくなかったし、弱気なプレーを選択することが多かった。相手のプレスがいつもより速く感じたし、常に“ボールを取られるかも”って怖かった。やるプレー、やるプレー全部が間違ってるんじゃないかと思いながらプレーしていた。なんでサッカーやってるんやろ…みたいな感覚。本当に苦しかった」

 そんな時、サッカー人生最大の転機が訪れる。加入3年目だった24年5月。チームのCB陣に負傷者が相次いだこともあり、当時の山口智監督からCB転向を告げられた。「プロ1~3年目で限界が見えていたのでラストチャンスという気持ち。ここで持ち味を発揮しないと、自分のサッカー人生は死ぬと思った」

 同年6月1日、J1第17節・G大阪戦でCBとしてリーグ初スタメン。「とにかく自分の強みを出そう」。無我夢中だった。同戦で対人と球際の強さを発揮すると、その後もチームメートのFW陣を相手にした練習で武器がより磨かれ、着実に成長。いつしか、心は幼少期や学生時代の原点に戻っていた。

 「子供心というか、小中学生の頃にサッカーをやっていた時と同じような感覚になった。何か特別なことをしたわけではないのにポジティブに転換される。ミスしても次で取り返せばいいんだと思うことができるようになった」

 転向わずか1年でA代表まで上り詰め、昨年6月のW杯アジア最終予選インドネシア戦でデビュー。翌7月にデンマーク1部コペンハーゲンへ移籍すると、北欧選手特有の高さと対峙(たいじ)しながら「日本では感じない体格差が経験になっている」と手応えを得ている。欧州CLの舞台も経験。昨秋の代表活動ではブラジル戦で強力FWエステバンを封じるなど圧巻のパフォーマンスを披露した。

 W杯メンバーの発表を控える今、色紙には「サッカーを楽しんで勝つ」と目標を記した。「夢の舞台。まずはメンバーに選ばれるように。選ばれたら勝利に貪欲になりつつ、雰囲気も楽しんでプレーしたい」。シンデレラストーリーはまだ続いていく。

 ◇鈴木 淳之介(すずき・じゅんのすけ)2003年(平15)7月12日生まれ、岐阜県各務原市出身の22歳。帝京大可児高から22年に湘南入り。24年途中にボランチからCBに転向してブレーク。左右同じ精度で蹴ることができる足元の技術が持ち味。1メートル85、78キロ。利き足は右。

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