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【天皇杯】町田“黒田イズム結実”3発快勝で悲願V! 市民クラブから発足37年で初タイトル

[ 2025年11月23日 05:00 ]

サッカー天皇杯決勝   町田3ー1神戸 ( 2025年11月22日    国立 )

<天皇杯決勝 町田・神戸>優勝を喜ぶ町田・黒田監督(前列中央)ら(撮影・西海健太郎)
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 決勝が国立競技場で行われ、FC町田ゼルビアが前回王者の神戸を3―1で下し、悲願の初タイトルを手にした。前半6分にFW藤尾翔太(24)が先制点を決めると、FW相馬勇紀(28)が同32分に追加点。後半に1点を返されたが、守備陣も最後まで踏ん張った。東京都町田市の少年サッカークラブとして発足して約37年。青森山田高から就任3年目の黒田剛監督(55)は苦節、J1昇格2年目で初の国内主要タイトルを獲得し、クラブ史を再び塗り替えた。

 サッカー史の常識を覆し、新たな歴史の扉を開いた。黒田監督にとっては青森山田高時代に何度も戦った国立の舞台。試合終了の笛が鳴るとベンチで歓喜の輪が広がり、優勝インタビューでは先人たちに感謝しながら喜びに浸った。「1989年から約37年をかけて東京都4部からはい上がってきた。その皆さんの思いが一つになって戦えた」。セレモニーではカップを誇らしげに掲げ、自然と笑みがこぼれた。

 クラブの苦節が偉業の大きさを物語る。89年、サッカーが盛んな東京都町田市で誕生した。当時は少年サッカークラブ「FC町田」のトップチームとして創設し、91年に東京都4部からスタート。07年関東1部、09年JFL昇格を果たした。12年にはJリーグ入会もJ2最下位に沈み、JFLに転落した初のクラブという不名誉も経験。14年にJ3で再入会し、16年にはJ2で首位争いを繰り広げたが、スタジアムの設備が整わずJ1ライセンスを得られなかった。

 転機は18年。IT大手サイバーエージェントが経営参画。22年12月に同社の藤田氏が社長に就任し、青森山田高から黒田監督を引き抜いた。誰もが耳を疑ったビックリ人事だったが、“高体連の名将”はプロチームでも堅守速攻の独自スタイルを確立し、最下層リーグから最上位(J1)に到達した初のプロクラブへと成長させた。

 強気な発言で知られる指揮官だが、実は自他共に認める「心配性」。帰宅しても気がつけば映像チェックに没頭し、白星が遠い期間は不安で眠れない日々を送った。ロングボールなど勝利至上主義の戦術は時にSNS上で誹謗(ひぼう)中傷も浴びた。「不安、恐怖と戦いながらタイトルにたどり着けるのか自問自答しながら進んできた」。一時は手足が震えるなど体調不良に陥り、睡眠導入剤を飲むほどだった。

 始動日に掲げた目標「何かしらのタイトル獲得」を有言実行。チームは余韻に浸る間もなく、25日のACLE・江原(韓国)戦に向けて敵地へ飛び立つ。「絵に描いたようなストーリーになった。王者としてのプライド、責任を果たす」と指揮官。天皇杯制覇は、常勝軍団への始まりの一歩に過ぎない。(滝本 雄大)

 ◇黒田 剛(くろだ・ごう)1970年(昭45)5月26日生まれ、札幌市出身の55歳。登別大谷(現北海道大谷室蘭)―大体大でプレーし卒業後の93年から指導者に転身。94年から青森山田のコーチに就任し、翌年監督に昇格。全国屈指の強豪校に育て上げ、全国高校選手権優勝3度(16、18、21年度)、全国総体2度(05、21年)、高円宮杯プレミアリーグファイナル優勝2度(16、19年度)と多くのタイトルを獲得。23年に当時J2だった町田の監督に就任し、同年のJ2優勝とJ1昇格に導いた。

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