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【井原正巳 我が道23】97年W杯アジア最終予選 「ホームは全勝」プラン崩壊

[ 2025年7月24日 07:00 ]

97年のW杯最終予選、ホームで韓国に痛恨の逆転負け
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 97年3月からW杯フランス大会アジア1次予選がスタートした。前年6月に02年W杯が日本と韓国の共同開催になることが決まり、開催国として出場できることになったが、「その大会が初出場」となることは何としても避けたいと誰もが思っていた。その前の98年フランス大会は、本大会の出場国が24カ国から32カ国に増え、アジアの枠も2カ国から3・5カ国になり、周囲も「行ってもらわないと困る」という厳しい見方に変わり、ドーハから帰国した時の温かい目とは、ガラリと変わっていた。

 1次予選はオマーン、マカオ、ネパールと同組で、3月に日本、6月にオマーンで集中開催(セントラル)方式で開催された。この数年で力は付けていて自信があり、最終戦はオマーンと引き分けたが、5勝1分けと無敗で突破した。

 アジア最終予選は、当初は集中開催方式で10月中旬から約1カ月間、行われる予定だったが、1次予選終了後にホーム&アウェーに変更された。今のように数カ月おきに国際Aマッチデーが設定されていて、2試合ずつ組まれるのではなく、約2カ月間、毎週のように試合が組まれる長丁場だ。だが、Jリーグは日程を変えず、8月23日以降は日本代表に招集された選手抜きでリーグ戦を行うことになった。日本代表選手は所属チームと契約して、チームから年俸をもらっている。出場給や勝利給は試合に出場しないともらえないが、そのあたりは何も決まらないままの見切り発車だった。それでも「やるしかない」と思っていたし、「本大会に行ける」という自信もあった。

 9月7日の初戦ウズベキスタン戦は国立競技場で行われ、FWカズさん(三浦知良)のハットトリックなどで6―3で大勝した。W杯予選なので勝つことが一番で、いいスタートだったが、3失点したことは気がかりだった。19日の第2戦はアラブ首長国連邦(UAE)とアウェーで対戦し、0―0で引き分けた。5時間の時差とハードな移動で暑熱順化も思うようにできず、あまり走れなかった。それでも、「ホームは全部勝ち、アウェーは引き分けでOK」というプランだったので、勝ち点1を取れたことはよかった。

 28日の第3戦は韓国と国立競技場で対戦した。後半22分に相手ボールを奪い、MF山口素弘のループシュートで先制した。ここまでは内容的にも悪くなかったが、28分にFW呂比須ワグナーに代えてDF秋田豊を入れて、守備を厚くしたことが、逆に日本のリズムを狂わせてしまった。後半39分に右からのクロスをヘディングで決められて追いつかれ、3分後にミドルシュートを決められて逆転。ベンチが意図したことと違うことが起きてしまった。「ホームは全部勝ち…」のプランが3戦目で早くも崩れた。W杯予選の難しさだったが、ホームで逆転負けはショックだった。

 ◇井原 正巳(いはら・まさみ)1967年(昭42)9月18日生まれ、滋賀県出身の57歳。守山高から筑波大を経て横浜Mの前身の日産入り。磐田と浦和でもプレー。アジアの壁と言われ、大学2年生の時に日本代表入り、ドーハの悲劇とジョホールバルの歓喜を経験、98年W杯フランス大会に主将として出場。代表通算122試合。引退後は北京五輪代表コーチ、柏コーチ、福岡監督、柏監督を務めた。現在は解説者、6月にU―20Jリーグ選抜監督も務めた。7月から韓国2部・水原コーチ。

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