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岡田武史氏 「脅迫状、脅迫電話…家の前には24時間パトカー」 強烈だった代表監督時代

[ 2024年2月17日 21:46 ]

元日本代表監督の岡田武史氏
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 サッカー元日本代表監督の岡田武史氏(67)が17日放送のABEMA「NewsBAR橋下」(土曜後9・00)に出演。41歳で日本代表監督の就任した時のことを回想した。

 97年にいきなり代表監督を務めることになり「監督をしたことがない。コーチで、最初の監督がその国の代表監督って世界広しと言えども俺しかいない。それが自慢。経験ない状態でいきなり」と苦笑。

 同年のフランスW杯アジア予選では、敵地でカザフスタンと引き分けた後、加茂周監督が解任。コーチだった岡田氏がウズベキスタン戦で指揮を執ることになった。「最初はもちろん断ってて。僕のボスからお前がやるしかないと言われて。まあいろいろあったんですけど、その時は1試合だけやりますと言って引き受けて」と振り返った。

 当時の日本にとっては未知だったW杯。ファンも苛烈で「有名になると思ってなかったから(自宅の電話番号を)電話帳に載せてたんです、当時。そしたら脅迫状、脅迫電話が止まらなくて。家の前には24時間パトカーが止まっていて、子供は危険だから学校を送り迎えするようにって言われて妻が毎日送り迎えして。とんでもなかったですね。電車乗れなくなって、映画館行けなくなって…エライ目に遭いました」。

 期待の反面、世間の目が一段と厳しくなっていく中、「カザフスタンで監督になって、1週間後にウズベキスタンに行ってチャーター機で試合しなきゃいけない。僕が監督を引き受けなかったら監督がいないままやらなきゃいけなかった。逃げ道があったら逃げてたと思う。正直、最初1試合で辞めるって言ってたんですよ。ところがウズベキスタンで引き分けた。(得点が)こんなんで入るんだって。ギリギリで引き分けて。これはひょっとするといけるかもしれないと。そう言ったら、年上の記者にお前はバカかと嘲笑されて。でもロッカーでは選手がもうダメだってわんわん泣いてるわけ。いや、お前まだ可能性あるぞって。こいつらも苦しいんだ、W杯行きたくて。俺だけ早く楽になりたくて、でも逃げだすわけにはいかない。それで、ボスに電話して、僕最後までやりたいです、こいつら置いていけないですって言ったんです」と明かした。

 次の試合は国立競技場でUAEと引き分け。バスが包囲され、卵を投げつけられるなど暴動も発生し「四谷警察署から裏から逃げてくださいって言われてねえ」と懐かしんだ。

 「選手が相当プレッシャーかかっていたと思います。出場権とらなかったら、(W杯初出場を決めた)ジョホールバルで、よく覚えてなかったけどバスがシーンとしていたって言うんです。これで国に帰れるってホッとしたんですね」と想像を絶するプレッシャーを背負っていたと語った。

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