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栗原克志コーチ、直々の誘いに人生計画変え即決

[ 2021年5月25日 05:30 ]

栗原克志コーチ
Photo By スポニチ

 【ポイチの参謀 ONE TEAM(2)】航空券代も子供の学校の入学金も、支払い済みだった。ニュージーランド移住に、土壇場で待ったをかけたのは、森保監督からの一本の電話だった。

 栗原克志コーチ(43)は、新潟でコーチを務めていた19年末、子供の留学を機にシーズン終了後から一家での移住計画を進めていた。そこに「五輪のコーチとして一緒に仕事をしないか」と誘いがあった。愛妻からは「何を迷っているの?」と背中を押された。「自国開催の五輪で、ましてや監督が求めてくれているのに、そうだよねって」。移住の中断を即決。全てを払い戻した。

 森保監督とは新潟で2年間、コーチで同僚だった。ヘッドコーチからコーチになっても意欲を失わず、むしろ役割をより全うしようとする人間性に魅力を感じていた。森保監督が広島の監督になってからも交流は続いた。冗談で「次は代表ですね。五輪やってくださいよ。僕、用具係で呼んでくださいね」と言ったこともあった。

 イングランドでの指導経験や日本協会のナショナルトレセンコーチなど、幅広い経験も評価されて19年12月にスタッフ入りした後は、森保監督や横内コーチを徹底サポート。「僕の方が選手と年齢が近いので、フランクな会話の中から監督に伝えてほしいという部分はあると思います」と柔らかい人柄で潤滑油のような役割も担う。

 人生計画を変えてまで挑むと決めた、大舞台での6試合。「自分の中では日本での集大成にしたい。全てをここに懸けて、日本のために、森保さんのためにという思いでやれたら」――。 

 ◇栗原 克志(くりはら・かつし)1977年(昭52)7月29日生まれ、千葉県出身の43歳。市原(現J2千葉)ユースから96年にトップ昇格。99年に市原で現役を引退後、指導者に。プリマス・アーガイルU―19(イングランド)、新潟シンガポールのコーチなどを経て19年12月、新潟のコーチからU―22代表コーチに就任。19年に早大の通信課程を卒業。趣味は妻、中1の娘、小5の息子と過ごすこと。

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2021年5月25日のニュース