【追憶の日本ダービー】武豊、史上初連覇達成の99年 信念の後方待機にアドマイヤベガが応えた

[ 2023年5月24日 07:00 ]

99年の日本ダービーを制したアドマイヤベガと武豊
Photo By スポニチ

 1999年6月6日、第66回日本ダービー。東京競馬場には17万人の大観衆。このダービーを見るために列をなした競馬ファンの一番乗りは、オークスが終わった当日に並んだという。

 皐月賞3着の1番人気ナリタトップロードの鞍上は渡辺薫彦24歳。21歳和田竜二が騎乗するテイエムオペラオーは皐月賞を勝ったにもかかわらず3番人気。皐月賞1番人気で6着に敗れたアドマイヤベガが2番人気に推された。その背中には前年スペシャルウィークでダービー初制覇を果たした武豊、当時30歳。単勝オッズは1番人気から順に3・9倍、3・9倍、4・2倍で1、2番人気は票数の差しかなかった。4番人気の皐月賞2着オースミブライトが8・4倍。ファンの評価が的を射ていたことはレースで証明される。東京競馬場の直線は上位人気3頭の攻防になった。

 まず最初に動いたのは和田竜二テイエムオペラオー。皐月賞では思い切った後方待機策で勝利をもぎ取ったが、ダービーでは中団。8番手で流れに乗った。3コーナーから押し上げる形。見ているぶんには自然だったが、鞍上にとってはこれが誤算だった。和田竜二は「外に出すと行きたがってしまった。結果的にちょっと早仕掛けになって…。4コーナーを回る時点で力を残せていれば」とレース後、唇をかみしめて語った。実は前の馬がふらついており、外へ持ち出すしかなかった。進路を変えた途端に、テイエムオペラオーが行く気になってしまったのが“早仕掛け”の真相。

 ベストの仕掛けではなかったにせよ、のちの世紀末覇王は前に構えた馬を一掃。このまま押し切れれば良かったが、そうはいかなかった。

 テイエムオペラオーをめがけて伸びてきたのが渡辺薫彦ナリタトップロード。序盤から中盤は11番手で待機。スムーズに外に持ち出し、力強く追い出す。その末脚は先を行くテイエムオペラオーに届いた。これで決まりかとも思えた。勝勢を築き、後はゴールに飛び込むだけのナリタトップロードを、ゴール前でなで斬ったのが武豊アドマイヤベガだ。

 アドマイヤベガは1コーナーを16番手で迎え、向正面でも後方のまま。4コーナーでも14番手。「ダービーポジション」は多頭数立ての時代の話としても、当時でも常識破りの位置取り。それでも武豊は「4コーナーでうまく外に出せたし、仕掛けのタイミングもぴったり合った」と事もなげに振り返った。

 “ぴったり”の意味は、ゴール前ナリタトップロードが抜け出したところをさらに外からの強襲で仕留めたところに現れていた。「凄い手応え。前を行く2頭を追う、いや追うというより襲いかかっていく。そんな感じです。勝った瞬間は震えました。厳しいレースを強いたのに、しっかりと伸び切ってくれた。なんて凄いヤツなんだと思いました。しばらく流して、右手の拳を握った時、また震えが来ました」と、さすがの武豊も史上初のダービー連覇にしびれた。後方一気の作戦については「大胆に見えたかもしれませんが、とにかくリズムを大事にと考えた結果。それに応えてくれたアドマイヤベガが凄いんです」とした。

 首差2着に敗れたナリタトップロードの渡辺薫彦はレース後、ほおを伝う涙をタオルで拭って取材に答えた。「うまく言えないんですけど」と声を詰まらせながら「オペラオーをかわした時は勝ったと思ったんですが…」と言って、また肩を震わせた。「悔いのないレースはできました。勝って期待に応えたかったけど、これほど素晴らしい馬に乗せてもらって感謝しています。感謝のしようがありません」と絞り出した。渡辺薫彦ナリタトップロードに栄冠が訪れるのは、5カ月後の菊花賞を待たねばならなかった。

続きを表示

この記事のフォト

「2023 天皇賞(春)」特集記事

「青葉賞」特集記事

2023年5月24日のニュース