近畿のレジェンド、村上義弘 電撃引退…“先行日本一”グランプリ2勝「競輪が人生を救ってくれた」

[ 2022年9月30日 05:00 ]

16年に2度目のグランプリを制した村上義弘
Photo By スポニチ

 さらば、魂の走り――。近畿の総大将として長年、競輪界をリードしてきた村上義弘(48=京都、73期)が29日、電撃引退を発表した。グランプリ2勝、日本選手権4勝など、数多くの金字塔を打ち立てたレジェンドレーサー。24日からの地元・向日町記念を欠場して、12日の松阪F1(1着)がラストランとなった。

 魂の走りでファンを魅了してきた村上が、バンクに別れを告げた。29日、JKAを通じて書面で発表した。「14歳の頃から競輪選手を夢見て自転車に乗り始め、引退を決めた今日まで、ただただ必死にペダルを踏み続けてきました。これまでの人生の記憶の大半が競輪であり、自分の人生を救ってくれたと感じている競輪を、これからも心の中でしっかりと応援し続けていきたい」とした。そして「共に戦ってきた競輪選手たち、関係者の皆さま、そして、ずっと村上義弘を応援して支え続けてくれた全国の競輪ファンの皆さまに心からの感謝の気持ちを送りたいと思います」と締めくくっている。

 村上は94年4月に小倉でデビュー。97年のオールスターでG1初出場。00年2月のふるさとダービー豊橋でG2を初優勝し、02年の岸和田・全日本選抜でG1初制覇を達成した。ここまでG1を6勝しているが、輪界の最高峰G1とされる日本選手権競輪を4勝、これは吉岡稔真氏(引退)と並ぶ最多タイの記録になる。グランプリは2勝。12年京王閣では、練習中の落車による肋骨骨折を抱え、単騎の不利を克服しての劇的な優勝だった。

 近年は相次ぐ落車負傷で調子を落としていた。直近のG1では6月の岸和田・高松宮記念杯は落車で途中欠場、8月の西武園・オールスターでも6、7、8、7、7着と精彩を欠いていた。

 落車やケガも多かったが、そのたびに不死鳥のごとく復活してみせた村上。逃げにこだわるレーススタイルを貫き「先行日本一」と評されたその雄姿を、ファンは忘れることはない。

 ◇村上 義弘(むらかみ・よしひろ)1974年(昭49)7月6日生まれ。京都府出身の48歳。73期。94年4月小倉デビュー。同月岸和田で初優勝。00年ふるさとダービーで特別競輪を初優勝。02年に全日本選抜を制してG1初優勝を達成。12年に悲願のグランプリを初制覇。16年には4度目の日本選手権Vを決めて、当大会最多タイの優勝記録に並ぶ。同年に2度目のグランプリ優勝を飾っている。通算成績は2236走655勝(GP2V、G1・6V、G2・5V、G3・35V、F1・18V、F2・25V)。主な獲得タイトルはグランプリ2回、日本選手権4回、全日本選抜、オールスター。弟は博幸(86期)。1メートル70、75キロ。血液型O。

 ▼井上茂徳(スポニチ本紙評論家)小柄だったけど、コツコツ努力してきて持っている力以上のものをレースで出してきた。肋骨を痛めながらグランプリを優勝したり、逆境に強かった。

 ▼吉岡稔真(本紙評論家)多少のケガでも走る男が地元の向日町記念を欠場していたけど、まさか引退とは。僕も現役時代に村上の先行に何度も苦しめられた。全国のファンに村上の走りは伝わったと思う。

 ▼小嶋敬二(村上とは1期違い)松本整(引退)さんに合宿に呼んでもらって、よく一緒に練習する仲でした。晩年は腰のケガとかで体はボロボロだったと思う。もう一度、一緒に走りたかったけど、今後の人生も頑張ってほしい。

 ▼武豊(JRA騎手)同じ京都で長い付き合いでした。フランスに来る直前に引退すると報告してくれて、2人でいろいろと話をさせてもらいました。一ファンとしては残念な気持ちですけど、彼らしい決断だなと思いました。

続きを表示

この記事のフォト

2022年9月30日のニュース