東日本大震災から10年…いわき平競輪場 市に9年間37億円拠出 防災貢献これからも

[ 2021年3月12日 05:30 ]

東日本大震災 公営競技施設の10年

建物の被害が少なかったいわき平競輪場は支援物資の中継拠点となった(いわき市 産業振興部公営競技事務所提供)
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 東日本大震災では東北地方の公営競技施設も大きな被害を受けた。中でも福島競馬場はスタンドが損傷。原発事故による放射線の問題も重なり、1年間の開催中止を余儀なくされた。一方で避難所として機能し多くの被災者を救援した。震災当時、福島競馬場場長を務めていた時任淳信氏(64)が地震当日から競馬再開への道のりを語った。また、同じ福島県内で支援物資の中継拠点として機能したいわき平競輪場の10年も振り返る。

 水91万リットル、毛布9万枚、カップ麺28万食、レトルト食品18万食…。大量の支援物資が集められ、避難所へ配送。その拠点となったのは競輪場だった。

 JRいわき駅から徒歩約25分の場所にあるいわき平競輪場。日本で唯一、構造物上に設置され、“空中バンク”とも呼ばれる。バンクの中からも競輪を楽しむことができ、その迫力は満点だ。そんな競輪場が10年前のあの日、支援物資を中継する拠点となった。

 当時、いわき市では震度6弱を観測。前検が行われていた競輪場では、入浴中だった選手はタオル一枚で飛び出し、バンクへ走って避難をした。幸い競輪場の被害は少なく、スタンドのガラスが破損した程度だった。いわき市産業振興部公営競技事務所・木村丈二次長(54)は「市内は壊滅的な被害を受けた中で、建物の被害が比較的少なく、一定の規模を誇る公的な施設として支援物資の受け入れ拠点となった」と当時を振り返る。非常事態を乗り切るため、ボランティアの協力を得ながら市内の避難所へ配送。復旧、復興の大きな力となった。

 公営競技は、社会への貢献が大きい。いわき平競輪場は2011年度から19年度の9年間で約37億円を拠出。市の事業全体に広く活用されている。「防災関連事業としては、消防車両の購入、学校施設の地震補強費、災害時情報提供強化費に充当されています」と木村次長は話す。災害対策への貢献も大きい。

 競輪から復興の輪を――。「震災復興としては市財政に対する持続的な貢献、防災意義としてはインフラを独自に持つ防災性を有する支援物資の輸送拠点・集積場所として」。10年前、危機的だった市を支えた場所。現在は、大型受水槽や自家発電装置が備えられ、耐震性の高い防災拠点となっている競輪場。これからもその存在は復興、そして防災の財産であり続ける。

 ≪携帯電話預け連絡できず≫震災当日、前検日のいわき平競輪場も「ゴゴゴ」という音とともに激しく揺れた。選手、関係者はバンク、駐車場に避難。選手は開催終了まで携帯電話を預ける決まりになっており、外部との連絡手段がない。「家族が心配なので電話させてほしい」、「不安なままレースできない」と訴えた。施行者が当日、午後4時頃に開催中止を発表し、契約解除となった選手はすぐさま家族へ安否の確認をとっていた。

 ≪8月にG1開催≫いわき平競輪場の売り上げは多い年で200億円を超える。10、17、18年にはG1オールスター。13、20年にはG2サマーナイトフェスティバルとビッグレースの開催が行われた年は好況だ。また、今年は8月10~15日にナイターで第64回G1オールスターが開催される予定となっている。

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