【中学校恩師が語る菜七子の“素顔”】泣いても勝っちゃう勝負強さ

[ 2018年8月20日 08:30 ]

菜七子 JRA34勝、女性騎手最多並ぶ

中学時代は剣道部に所属、最後の大会を終えた藤田
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 守谷市立けやき台中学校の校長室に所狭しと並ぶのは、菜七子のポスターにカレンダー、サイン。廊下にも巨大なパネルが掲げられ、学校全体で卒業生の活躍を喜んでいる。

 石井良秋校長(57)は「デビューした年(16年)の入学式で彼女の話をしました。わが校の校訓の一つに“夢に向かって 明るく たくましく”というのがある。夢をかなえた菜七子さんは後輩たちの最高のお手本です」と目を細めた。

 菜七子は中学の3年間、剣道部に所属。乗馬クラブとの掛け持ちで週に1度しか練習に参加できなかったが、当時の顧問・松崎和博教諭(44)は「木曜日しか参加できなかったにしては、動きが良かったですね。運動神経、センスがあったのでしょう」。小学生まで習った空手に続き、中学生でも足を踏み入れた武道の道。同級生の仲良し5人組で挑んだ3年最後の守谷市総合体育大会は、松崎教諭にとっても忘れられない試合となった。

 剣道の団体戦は5人選出方式。松崎教諭は負ければ引退が決まるオール3年生で挑もうと考えていたが、試合直前で菜七子が猛反対した。「泣きながら“私は出たくない”と言いだしたんです。上手な2年生がいましたからね。練習を休みがちだった自分は身を引こうと考えたのでしょう。そういう周りのことを考えられる子でした」。それでも説得の末、菜七子は次鋒(じほう)として出場。強豪校の選手を相手に見事な小手を奪い、勝利を手にした。「かなり強い相手だったけど、先鋒が敗れた嫌な流れを引き戻したんです。出る前まで泣いていたのに勝っちゃうのかよって(笑い)。今考えると勝負強かったんですね。団体戦の5人は今でも仲良しで、旅行にも行っているみたいです」

 部活引退後、菜七子は同級生が進路に悩む中で、早くから夢見た競馬学校の受験を決意。狭き門は1回でくぐり抜けた。松崎教諭は「倍率が凄く高いと聞いていたので“受かりました”と報告しに来た時は驚きました。本人はもちろんですが、親御さんの協力が素晴らしかったと思います。朝6時くらいから送り迎えをしていたみたいだし、子供の夢を反対せず、全面的に応援するのはなかなかできることじゃないです」と話す。

 人口約6万7000人の守谷市から誕生した大スター。石井校長は「いつかG1を勝って地元に凱旋、となったら最高ですね。人は夢があるから苦しい時もエネルギーを持って頑張れると、(守谷市の)子供たちの参考になってほしい」とエールを送った。

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