【京王閣・ヤングGP】杉森、第二の人生で“金メダル”だ!

[ 2015年12月29日 05:30 ]

最初で最後のタイトル獲りへ意気込む杉森

 「ヤンググランプリ2015(G2)」(優勝賞金505万円=副賞含む)が29日、東京・京王閣競輪場の11Rで行われる。成績優秀なデビュー3年未満、未来のスター候補の若手選手が一発勝負で激突。中でも、ひときわ強い輝きを放つのは、スピードスケート日本代表として2度の冬季五輪に出場した経歴を持つ杉森輝大(33)だ。スケートで鍛えた脚力は抜群。戦いの場をリンクからバンクへと移し“金メダル”獲得を目指す。

 日の丸を背負った氷上のアスリートが第二の人生に勝負を懸ける。「ヤンググランプリは最初で最後。競輪人生のステップになるよう頑張りたい」。最年長33歳のオールドルーキーは静かに決意を語った。

 スケートが盛んな北海道十勝地方に生まれ、5歳からリンクで氷を蹴った。明大在学中に中距離種目で頭角を現し、日本代表として世界を転戦。その視線の先には「兄貴」のように慕う、清水宏保(41)がいた。爆発的なロケットスタートを武器に長野五輪(98年)でスピードスケート日本人初の金メダル。杉森は白樺学園高の先輩でもある清水に憧れ、ハードな練習で共に汗を流した。夏場は固定した自転車マシンに乗り、酸欠状態で失神寸前まで追い込む過酷なトレーニングにも耐えた。「清水さんは(種目の)距離は違うが目標とする選手。スケートに関して、いろいろと学んだ」。懸命に金メダリストの背中を追いかけた。

 トリノ五輪(06年)は24位に終わった。「出場するだけで満足してしまった」(杉森)ことを反省し、米国へ武者修行にも出た。2度目の五輪、10年バンクーバーに全てを懸けた。当時、杉森は1500メートルの日本記録保持者。男子中距離のエースとしてメダル獲得が期待された。だが…。1000メートル、1500メートルともに26位。「国内で勝って当たり前」の第一人者は、またも世界の壁に阻まれ涙をのんだ。

 バンクーバーがスケート人生の最後と決めていた。第二の人生、どうするか…。「今までやってきたことで何ができる?」。自問自答した時、競輪が浮かんだ。「瞬発力があるし、スピード感覚もある。目指してみたら?」。清水も背中を押してくれた。

 スケートと違い、100分の1秒を競う世界ではない。それでも風を切り裂き自らの脚力で前へ進むことは同じだ。競輪デビュー後はスケートで培った鋼の肉体を武器に順調なステップを踏んでいる。それでも満足感はない。「S級に上がるまで1年半もかかってしまった。もっと早く上がらないといけない。デビューが遅い分、競輪選手としての寿命も短いから」

 スケートで世界に通用しなかった挫折感が、新天地での飽くなき向上心をかき立て続ける。「今の成績、現状で満足したくない。中途半端で終わりたくない」。新天地ではここ一番で勝てるようになりたい。誰よりも大舞台を渇望する男が、その名の通り“大きな輝き”をバンク内で放ってみせる。

 ▼清水宏保 彼との出会いは彼が小学生の時、僕の家にサインをもらいに来たのが最初。いじられキャラでスケート時代、かわいがられていましたよ。真面目にトレーニングをする男ですが本番の一発勝負に弱かった。そこでレースで潜在能力を出す方法を伝えたら五輪代表になってくれました。競輪界にはスケートの先輩でもある武田豊樹選手がいますね。時間はかかるでしょうが少しでも追いつけるよう頑張ってほしい。大レースを勝って、ぜひ祝賀会を。それが杉森選手をそばで応援してきた、みんなの願いです。

 ◆杉森 輝大(すぎもり・てるひろ)1982年(昭57)9月15日生まれ。北海道大樹町出身。明大卒。トリノ五輪(06年)スピードスケート1500メートル24位、チームパシュート8位。バンクーバー五輪(10年)スピードスケート1000メートル26位、1500メートル26位、チームパーシュート8位。師匠はアトランタ五輪(96年)自転車1キロメートルタイムトライアル銅メダリストの十文字貴信。1メートル78、80キロ。血液型A。

 ▽ヤンググランプリ デビュー3年未満の選手による一発勝負。選考期間における平均競走得点上位9人が出場する。毎年、KEIRINグランプリのシリーズ開催中に行われ、01年からG2に格付け。若手選手の出世レースとして位置づけられ、過去に優勝の海老根恵太(04年)、山崎芳仁(05年)、深谷知広(10年)はタイトルホルダーになった。

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