川合俊一 「何もしない子供」がバレーに打ち込んだ意外な理由「練習もきつかったけど、そっちの方が」

[ 2026年5月2日 18:21 ]

川合俊一
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 日本バレーボール協会会長でタレントの川合俊一(63)が、2日放送のTOKYO FM「川島明 そもそもの話」(土曜後5・00)にゲスト出演し、競技を始めたきっかけを語った。

 中学からバレーボールを始めると、195センチという長身を大きな武器に活躍。84年ロサンゼルス、88年ソウルと、五輪にも2大会連続で出場した。

 体格に恵まれた川合だったが、競技を始めるまではのんびりすることが好きな少年で、新潟に住んでいたころは山で過ごしていたという。

 「何もしない子供。毎日、山に登って寝転がって、夕方くらいになって、母親が麓の家から、山に向かって、“俊一~!ご飯だよ~!”、“は~い”って帰って行く。そういう日々を…1人でぼーっとしている(のが好きだった)」

 そんな川合が変わるきっかけは、8歳の時に東京に転居したことだった。「中学に入る時に、 たまたま近所の普通の区立の中学校に入るんだけど、うちの親父が183センチだから、“お前、将来大きくなるから、デカいやつが有利なスポーツをやった方がいい”って言い出して」。その勧めにも、川合は「動くのが好きじゃない」と消極的。「動かなくていいじゃん?頭だけだから」と囲碁将棋部に入ろうとしたが、「親父が“いや、スポーツをやれ。やらないともったいない”と」、押し切られる形でバレーを始めたという。

 偶然にも、中学は強豪校。消極的だった川合は、練習も一生懸命にしない選手だったというといい、「楽しいなんて思ったこともなかった」と打ち明けた。しかし、辞めるという選択肢はなかったという。

 「うち、実家がとんかつ屋で、バレー部を辞めると、授業が終わって帰るでしょう?家の手伝いをしなければいけないの。皿洗いとか」。さらに苦手だったのが、出前だったという。「2つ嫌なことがあって、一つは、あのころって同級生の女の子に、家の手伝いをしているのを見られると、“川合君、偉いね。家の手伝い?”って言われるのが、もの凄く嫌だった」。また「中学生の時に、全然知らない団地とかに行って、ピンポンを押すのに、どんな人が出てくるか分からなかったから、怖かったのね」とも。部活と両天秤に掛けた結果、「出前の方がつらいな。練習もきつかったけど、そっちの方がいいなと思って」と、競技続行を決意したという。

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