【山本譲二 我が道20】声をかけてくれたのは川中美幸さん 50歳の転機「テイチクの兄貴」に

[ 2026年4月21日 07:00 ]

「花も嵐も」のレコーディング(後列左んら前田俊明氏、たかたかし氏、弦哲也氏)

 父親の武が亡くなった1999年は世紀が変わる節目でしたが、自分にとっても転機が訪れた年でした。北島三郎さんに弟子入りして、78年9月に出した「北ものがたり」(詞・曲、中山大三郎)から「いつまでも…沖縄」(99年3月)まで39作シングルを出したポニーキャニオンを離れることになったのです。会社の方針で演歌・歌謡曲路線は撤退することになりました。早い話、リストラの対象になったのです。スタッフにも思い入れがあったので、かなりショックでした。

 そんな時に「譲二さん、新しいレコード会社は決まった?ウチにおいでよ。いい会社だよ」と声をかけてくれたのが、老舗のテイチクレコードに所属している川中美幸さんでした。ほぼ同時期、テイチクの社長も元ビクターの飯田久彦さんに代わりました。「ピンク・レディー」を世に送り出した名物ディレクターの飯田さんのことは、ビクター所属だった「伊達春樹」時代から知っていました。ご自身も人気歌手だった飯田社長から「譲二さん、“テイチクの兄貴”になってもらえませんか?」と頭を下げられたことを覚えています。この2人のおかげで、テイチクで新しいスタートを切ることを決めました。ちょうど50歳の時です。

 移籍第1弾として出来上がった作品が00年2月に出した「花も嵐も」(詞・たかたかし、曲・弦哲也)でした。NHKの楽屋でデモ音源を聴かされて「やっぱり演歌のテイチクだな」と実感しました。「みちのくひとり旅」のようにイントロでエレキギター音が入る「ニュー演歌」路線で来ましたが、これはバリバリの演歌です。本流で勝負するんだと気が引き締まりました。

 中国のスポーツ刈りの歌手がこの曲をカバーしたほど、おかげさまで国内外でよく歌われるヒット曲になりました。北島のオヤジも凄く喜んでくれました。わざわざヒット記念パーティーにも姿を見せ「山本、いい歌だなあ」としみじみ言ってくれました。しかし、それだけで終わらないのがオヤジです。「山本、お前の歌い方も良いけど、こういう歌い方もあるんだよ」と、もう少しドスを利かせた歌い方も教えてくれました。

 ♪泣いちゃいけない 涙をおふき…と始まる3拍子の夫婦(めおと)歌。自分はあえて重くしない方が、相手を思いやる気持ちが伝わりやすいと考えました。でも、オヤジのようにしっかりと歌うと、夫婦の絆の深さがより感じられます。同じ歌でも歌い方一つで全く違う解釈ができる。歌に完成形はないと改めて思い至ったのが、この作品でした。

 ◇山本 譲二(やまもと・じょうじ)本名同じ。1950年(昭25)2月1日生まれ、山口県下関市出身の76歳。早鞆高3年の67年、夏の甲子園出場。74年に「伊達春樹」として「夜霧のあなた」で歌手デビュー。北島三郎に師事し、78年「山本譲二」として再デビュー。80年発売の「みちのくひとり旅」が81年にかけてロングヒット、ミリオンセラーに。NHK「紅白歌合戦」に計14回出場。

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