【山本譲二 我が道16】「琴五郎」として作詞作曲も 父を歌った「夢街道」でご褒美

[ 2026年4月17日 07:00 ]

故郷を歌った「関門海峡」の歌碑
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 「みちのくひとり旅」が売れてから、しばらくして下関に戻りました。居間でくつろいでいると、父が頼まれた大量の色紙を持って来ました。多忙続きで疲れていたので「山本譲二」と名前だけのサインをすると、それを見た父は激怒。「もうええ、書かんでええ。『みちのくひとり旅』はお前の名刺じゃろが。欠けた名刺などいらん」と言いました。ムッときて、悪友の勝昭に「サウナ行こうや」と言って家を飛び出しました。サウナで勝昭から「譲二、書いちゃれや。お父さん、下関中の人から頼まれておって、顔が立たんぞ」と諭されました。勝昭に色紙を持って来てもらい、空港に止めた車内でサインし「オヤジに渡しといてくれ」と頼んだこともありました。

 北島三郎さんが下関で公演をする際に、父は必ず陣中見舞いに行っていました。ある時、自分が仕事で下関に行った際、楽屋で麻雀を打っていました。そこに現れた父は「北島先生はワシごときでも、ちゃんと立ち上がってあいさつし、もてなしてくれよった。そんな素晴らしいお師匠さんの弟子なのに、お前のその姿勢は一体何や。遊んでいる時間があるんやったら、作詞か作曲でもして、いい歌でも作らんかい!」と怒鳴られました。

 そんな経緯もあり、自分でも歌を作ろうと思い至りました。まず故郷を歌おうと試みたのが1994年7月に発売した「関門海峡」(詞・曲、琴五郎)です。勘の良い方ならばお分かりでしょうが、娘の琴乃の「琴」、北島三郎さんの弟子だから「五郎」です。下関といえば何といってもボートレース。だから♪うなるスクリュー 関門海峡…と始まります。「ふぐ」が名産なので♪俺とお前でヒレ酒飲んだ…という感じです。レコードを発売する前、ふぐの水揚げで有名な「南風泊(はえどまり)漁港」に行き、漁船の船長に感想を聞きました。「最高っす。歌にウソはないです」とお墨付きをもらいました。

 トラック運転手だった父・武をモデルに「夢街道」(詞・曲、琴五郎)という歌も翌95年7月に出しました。♪少し太めのワッパを抱いて…と歌い出します。ワッパとはトラックのハンドルのこと。子供の頃、父のトラックが帰って来ると「ハルヱ、ワッパ磨いとけ」と父が母にいつも言っていた光景を思い出しました。♪みやげは無事故でいいのよと…というフレーズは、母がいつも父に言っていた言葉を頂きました。

 「夢街道」を出した頃に肺気腫を患い入退院を繰り返した父。99年4月30日に急性肺炎で亡くなりました。74歳でした。亡くなる直前、下関に戻りました。手を握るとうっすらと目を開け、自分の手に何か書こうとしました。何を伝えたかったのか分かりませんでした。「夢街道」で95年日本レコード大賞最優秀歌唱賞を頂きました。褒めることが苦手な父はその時は何も言いませんでした。今思うと「オレが言うた通りやろが。こうしてご褒美もらえたやろが」と書いたような気がします。

 ◇山本 譲二(やまもと・じょうじ)本名同じ。1950年(昭25)2月1日生まれ、山口県下関市出身の76歳。早鞆高3年の67年、夏の甲子園出場。74年に「伊達春樹」として「夜霧のあなた」で歌手デビュー。北島三郎に師事し、78年「山本譲二」として再デビュー。80年発売の「みちのくひとり旅」が81年にかけてロングヒット、ミリオンセラーに。NHK「紅白歌合戦」に計14回出場。

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