小椋佳 井上陽水のデビュー秘話語る「当時アンドレ・カンドレって蝶ネクタイでやってた」

[ 2026年1月20日 14:03 ]

小椋佳
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 シンガー・ソングライターの小椋佳(82)が19日放送のBS12トゥエルビ「鶴瓶ちゃんとサワコちゃん~昭和の大先輩とおかしな2人~」(月曜後9・00)にゲスト出演。デビュー秘話を語った。

 東京大学に在学中、「他でもない自分って何だろう、何か作る人間にならなきゃ」との強迫観念から、舞台鑑賞や絵画、音楽、小説など創作活動に打ち込む中、とあるミュージカルで演出家・寺山修司さんの名前を目にした。まったく面識はなかったものの電話を掛け、「ああいうのを僕やりたいんですよ」と曲を作っていることや自身の立場、熱意を伝えたが、面会は遠回しに断られた。

 その半年後、詩人の谷川俊太郎さんの代打で、寺山さんがニッポン放送のラジオ番組に出演した。番組内容は「学生と世間話をして30分間、歌を1、2曲掛けて終わる」というものだったが、ロビーに詰めかけた学生の中から、唯一ギターを持参していた小椋に声が掛かり“共演”が実現。番組内では弾き語りを披露した。

 「それを寺山さんが覚えてた」と小椋。また半年後に電話があり、寺山さん宅での「寺山サロン」に、会員らが作った詩に即興で曲を付ける“出し物”として参加するうち、“居候”のような関係に。そして寺山さんから音楽事務所を紹介された小椋は、「その時同じような若者で田中未知っていうのがいて」と回想。他に「浅川マキとか、その人に僕は曲を提供したりしてました」と振り返った。

 その後、小椋は銀行員となりいったんは疎遠になったが、再び寺山さんから誘われ、1970年発売のレコード「初恋地獄篇」に参加した。販売枚数は振るわなかったが、ある日レコード会社の若いディレクターが耳にした。そこで「これを歌っているのは、16、7歳の美少年に違いない。この若者をデビューさせよう」となり、「僕は銀行員になってましたから、彼が会いにきました。“これこれでデビューさせようと思ったけど、やめるわ”って言われました」と笑いを誘った。

 しかし「銀座の酒場で日本の音楽について議論」するうち、担当者は「君はいらないけどその作品をちょうだい」と提案。「僕が思うような男性歌手を見つけて、デビューさせる。歌だけちょうだい」と宣言し、劇団の若手俳優などをあたったが、歌唱力のある人材という条件に苦戦した。

 そしてギリギリのところで「1人いるよ」と判明。歌声を聞いたところ「この歌手いいよ、この人で行こうよ」となったが、小椋は「それが井上陽水。当時アンドレ・カンドレって蝶ネクタイでやってた」と明かした。

 当時すでに制作していた井上の楽曲「傘がない」や「人生が二度あれば」と聞いたといい、「だから僕なんか使う必要がない」「この人はこの人の歌でデビューすべき」と進言した。「それで陽水が先に、そのディレクターのもとで世の中に出ました。で、案の定売れましたね」と語っていた。

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