【藤あや子 我が道8】民謡歌手「高橋真奈美」として 21歳で秋田民謡界のスター歌手に弟子入り

[ 2025年12月8日 07:00 ]

24歳、民謡歌手「高橋真奈美」の頃
Photo By 提供写真

 小学校5年生から始めた民謡の踊り子という“特技”が私を助けてくれました。20歳で長女を出産しましたが、自分が働いて稼がなければなりません。そんな時、昔の縁で民謡の踊り子のアルバイトの話が舞い込みました。乳頭温泉に「ハイランドホテル山荘」という施設がありました。そこで知り合いの民謡の一座が宴会のアトラクションとして民謡ショーを行っており、アルバイトの踊り子を探していたのです。

 ホテルの宴会ですから、拘束時間が長くないことも助かりました。当時はハイランドホテル以外にも団体客の宴会の仕事は数多くありました。春のお花見、夏の盆踊り、秋祭りの舞台があったり、隣県の岩手のイベントにも呼ばれるなど、東北地方は民謡の仕事が数多くありました。アルバイトでも意外と食べていけたのです。

 すると「ただ踊るだけでなく、せっかくだから歌ってみたら」という話も自然に起こりました。もともと歌うことは子供の時から大好きです。イベントの合間に口移しで民謡を教わったり、舞台で歌わせてもらったりと、民謡を歌う仕事も始めたのです。当然、我流で歌っていましたが、すぐに壁にぶち当たりました。

 このままではダメだと思い、千葉美子さんという秋田民謡界のスター歌手に弟子入りさせてもらいました。当時、千葉先生は現役バリバリの歌手で、民謡教室は開いていませんでした。そこを何とかお願いして弟子にしてもらったのです。千葉先生の弟子1号です。民謡の仕事は春と秋が圧倒的に多く、冬は比較的仕事がありません。ですから、冬の間に集中的に教わりました。角館から秋田市内の先生の自宅まで車で運転して行き、みっちり基本から教わりました。21歳のころでした。

 最初に習った民謡は「秋田おばこ」です。言うまでもなく、秋田の民謡の基本となる楽曲です。手踊りを習った時も「秋田おばこ」から始まりました。次に教わったのが「長者の山」という曲です。この2曲が持ち歌となり、一座の民謡歌手「高橋真奈美」として歌うようになりました。

 後述しますが、1985年3月のNHK「勝ち抜き歌謡天国」に出演したことがきっかけでスカウトされ、プロ歌手の道が開けました。しかし、同じ85年10月には「第8回日本民謡大賞」に出場しました。24歳の時です。徳光和夫さんが司会をされていました。秋田県代表として出場したのですが、若手が目指す最高賞である「特別賞」を頂いたことは、歌い手としてかなり自信になりました。

 もともと民謡は「生活の歌」とされています。農林業や漁業などの肉体労働の最中に歌われるものも多いからです。東北地方や北海道などが民謡の宝庫ということは、そうした仕事に従事する人が多かったことと無縁ではないのでしょう。乳飲み子を抱えた私も、生きていくために民謡にすがったのも偶然ではない気がします。

 ◇藤 あや子(ふじ・あやこ)1961年(昭36)5月10日生まれ、秋田県角館町(現・仙北市)出身の64歳。民謡歌手として活動後、87年に村勢真奈美の芸名で「ふたり川」でデビュー。89年、藤あや子に芸名を変え「おんな」で再デビュー。92年「こころ酒」で日本有線大賞を受賞、第43回NHK紅白歌合戦に初出場、21回出場している。新曲「想い出づくり」など「小野彩(このさい)」のペンネームで作詞・作曲も行う。

続きを表示

この記事のフォト

「美脚」特集記事

「中居正広」特集記事

芸能の2025年12月8日のニュース