【中村鶴松の鶴明times 3】師への信頼 「僕が親でも勘三郎さんになら息子の人生を託せる」

[ 2025年9月21日 09:00 ]

中村勘三郎さんと役衣装で写る中村鶴松
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 【中村鶴松の鶴明times】歌舞伎の世界を描いて大ヒット中の映画「国宝」(監督李相日)の主人公の喜久雄さながらに“部屋子”からスターダムに駆け上がろうとする俳優がいる。中村鶴松(30)だ。一般家庭で生まれ、十八代目中村勘三郎さんの元で修業する部屋子となり、歌舞伎俳優の人生を歩み始めた。

 連載タイトルの「鶴明(かくめい)」は、自身の名前の「鶴」と師勘三郎さんの本名「哲明」から一文字ずつ取ったもので、歌舞伎界に革命を起こすという意気込みも込められている。

 第3回では2005年に、10歳で部屋子となってからの日々に迫る。

 2003年8月、歌舞伎座で上演された「野田版 鼠小僧」の共演をきっかけに部屋子となった。

 「毎日肩を抱いてもらって。歌舞伎俳優でもない、ただの子役が歌舞伎座のカーテンコールのど真ん中にいるということは今考えてもあり得ないこと。そういうことを芝居が良ければよしとしてくれる人だったので、すごく愛のある人だっだなとは思いますね」

 誘いを受けた当時を振り返る。千穐楽を終えて「うちに入ってくれ」と正式に勧誘を受けて、その後中村屋の部屋子となった。

 歌舞伎俳優になることについて、両親からは当時、直接何かを言われることはなかったという。「当時はマイナスなことは言われなかった。でも後々聞くと両親とも相当悩んだそうです。小学5年生でプロとしてやっていくプレッシャーを背負わせていいのか、歌舞伎だけじゃなくいろんなことをさせた方が成長するんじゃないかとかあったと思います。嫌になったら辞めればいい、多分そういう感じだったんだと思います」と決断を後押しした両親の心情を推察した。

 10歳にして、歌舞伎俳優としての道を歩むことを決断するのは並大抵のことではない。「僕が親だったとしても勘三郎さんになら息子の人生を託せると思える人」。血のつながりを超えた信頼がそこにはあった。

 意外にも部屋子になってから、生活に変化は全くなかったという。「一緒に住むということもなかったですね。だから良かったかもしれないですね。住み込みだったら厳しかったかもしれません」と振り返る。

 通いの日々でも勘三郎さんは身の回りの世話をさせることはなかった。楽屋作法で勘三郎さんから教えられたのは、鶴松となった最初の月に言われた歌舞伎俳優としてのあいさつの仕方だけだった。「多くの部屋子は人が来た時に楽屋ののれんを開けたり、草履を直したり、小道具を拭くんですけど、勘三郎さんはそういうことをさせない人だった。それをやっても芸がうまくなるわけじゃないから、その間に舞台を見て来いというタイプだった」と芝居に打ち込む師の人柄をしのんだ。

 楽屋作法にはあまり口を出さなかった一方で、芸は厳しく教え込まれた。特に大事にしていたのが「心で演じること」。次回は勘三郎さんから叩き込まれた芸の神髄に迫る。

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