【売野雅勇 我が道7】衝撃!!キャロルの日本語ロック ピンときた「ビートルズと同じ!」

[ 2025年8月7日 07:00 ]

キャロル時代の矢沢永吉
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 大学受験は惨敗。最後の大学の発表のその日に東京の予備校に申し込みました。

 東京――。といっても寮があったのは多摩動物公園がある日野市。梨畑が広がる田園地帯で寮から予備校までは電車で1時間以上かかりました。

 浪人中は猛勉強。現役でも受験した上智大学文学部英文学科に合格しました。上智の校舎はトイレにいたるまでハイカラで「俺は絶対ここに入る!」と決めていたので入学した時はうれしかった。

 憧れのキャンパスライフの始まりとばかりに親しくなったクラスメートと、毎日連れ立って遊び回りました。

 生まれて初めてピザを食べたり、新宿のデパートを覗(のぞ)いたり。4月から1カ月くらい、そんな暮らしをしていたけど、すぐにバカバカしくなってしまった。「こんなくだらないことは性に合わない」。決意した僕の耳に、カッカッカッカッと耳慣れない音が聞こえました。

 その時、アメリカンフットボール部の選手たちがグラウンドへ駆けていくのが見えました。石畳のキャンパスをスパイク靴で叩くと「カッカッ」と響くんです。それがとてもカッコよくて「あれをやりたい!」と5月の連休明けに入部しました。

 走るのが得意だったので、1年の夏まではバックスで、その後「売野はキャッチングがうまい!」ということになりエンドにコンバートされました。1月と7月以外は練習漬けの毎日です。3年の終わり頃には誰もが憧れるクオーターバックに指名されました。

 同じ頃、恋人の友達の彼氏から「自主公演で使う映像を作って」と頼まれ、その文学座の研究生だった蘇我さんという方の経堂のアパートに行くと、デビューしたばかりのロックバンド「キャロル」の「ルイジアンナ」と「ヘイ・タクシー」を聴かせてくれました。

 衝撃でした。最高のロックンロールだけど「日本語で歌っているじゃん!」。思いもよらない日本語のロックに度肝を抜かれました。

 歌も演奏もうまくて「これ最高じゃん!!」って熱くなっていたら「3月にコンサートがあるから行かない?」って誘われて。「行く!行く!!行く!!!」と即答し、初めてのワンマンライブをやった文京公会堂(後の文京シビックホール)に行きました。

 人生初のライブ。革ジャン、リーゼントという見た目もカッコよかった。すごいテンションでベースをうならせ、ツバを飛ばしながら歌う矢沢永吉は異彩を放っていた。舞台の左手に矢沢、ドラムのユウ岡崎が後方にいて、真ん中が内海利勝、ジョニー大倉が並んでいた。「ビートルズと同じ!」とピンときて、またうれしくなった。自分が知らない切り口で攻めている人が好き。魂が震えたステージの熱は今も体に残っています。

 ◇売野 雅勇(うりの・まさお)1951年(昭26)2月22日生まれ、栃木県足利市出身の74歳。企業のコピーライターなどを経て、81年作詞家に。中森明菜「少女A」、チェッカーズ「涙のリクエスト」、郷ひろみ「2億4千万の瞳」などのヒット曲を生み出した。これまでに1500曲以上の歌詞を制作。2026年に活動45年の節目を迎える。

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